投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月14日(木)09時13分50秒   通報
伝教滅後、一代聖教の最高峰に位置する法華経が廃れていく当時の日本にあって、
行動と実質を第一義とする大聖人の行き方は、「どの教団が正統なのか」という観点はなく、
「誰が正統なのか」という一人の人間に視点が向けられていました。

なぜかというと、法華経を信奉する教団の実践がいかに拡大され、多岐にわたって展開されても、
究極の原点にさかのぼれば一個の人間であり、その内なる生命に帰着するからです。

大聖人は

「日蓮はおそらくは三師に相承し法華宗を助けて末法に流通す。三に一を加えて三国四師と号く」(五〇九頁)と述べています。

この御文は釈尊、天台、伝教という流れが仏教正統の系譜であることを認識した言葉です。

三時(正・像・末)の見方でいえば、釈尊の仏法が次第に混乱の様相を呈していくなかで、

法華経の「万人成仏」の思想が次第に明らかな形をあらわし、
万人に流布される過程でもあったことを「三国四師」という大聖人の歴史観は示しているように思います。

大聖人の行った実践法は、他の法華経信奉者とは違い、法華経を“身読”するという
手法を用いて釈尊の精神がどこにあるのかを事実の上で証明していく生涯でもあったのです。