投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2016年 1月14日(木)09時12分59秒   通報
そして、第四の相対が「本迹相対」です。

この“本迹相対”と、後に続く“種脱相対”こそが、
大聖人独自(独一本門)の教判であり、日蓮教学の骨格を成すものです。

大聖人は剣豪の修行の如き仏典の研鑽と二千数百年にわたる仏教指導者の論釈書を精査するなかで、
釈尊から始まる正統精神が「竜樹・天親・天台・伝教」に流れていることを突き止め、

私(日蓮)こそが、釈尊から付嘱を受けた末法の法華経の行者であり、地涌の菩薩の棟梁なのだと覚知します。

大聖人は仏教史に燦然と輝く正法・像法時代の大論師「竜樹・天親・天台・伝教」たちの論説を踏まえつつ、
独自の視点から法華経を洞察し、自身の教法を展開していきました。

大聖人がその発想に至る背景には理由がありました。

そもそも日本の法華経信仰の「師」は伝教大師です。比叡山にはすでに国家公認の戒壇も建立していました。

しかし、伝教の後継者ともくされた弟子「泰範(たいはん)」は師匠を裏切り、真言宗・空海の弟子になってしまったのです。

そのなかで極めつけは日本天台宗の“真言化”です。
その道を開いたのが伝教の弟子・慈覚(第三代座主)と智証(第五代座主)でした。

法華経第一が伝教の根本だったにせよ、大聖人が遊学の修行に訪れた比叡山はすでに謗法まみれだったのです。

後年、大聖人は伝教の弟子「慈覚・智証」を名指しで、徹底的に破折しています。