投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年12月26日(土)13時00分47秒   通報 編集済

54年は、不二の弟子(山本伸一)がいなかったことを証明した歴史である。一体何故、山本伸一は存在しなかったのだろうか。そもそも山本伸一とはいかなる存在なのだろうか。最高幹部よりも、「先生!」と叫んだ、名もなき一婦人の中に師弟は脈動していた。しかし、組織の論理に組み込まれ、立場やしがらみがあったとしたら、その婦人は果たして同じように叫べただろうか。まさに、薄氷を踏む思いである。

不二の弟子である山本伸一は、「池田先生だから」という特別な部類のものなのか。そうだとしたら、師弟不二は絵空事となる。師を最優先に考え、自身のすべてを投げうつことができたのは山本伸一だけであり、それは、天性の素質や、使命ということだけで割り切ってはならないでしょう。

54年当時も、先生を求め、肉薄せんと思索し、戦い抜いた弟子は沢山いたことでしょう。特に本部職員になった人たちというのは、先生に対する思いも強く、求同心も旺盛だったはずです。しかし、結果を見れば、権威に怯え、状況に流され、挙句の果てには、「時流には逆らえない」という象徴的な台詞を言う始末。末端の職員は、何が起きているかわからなかったということもあろうが、アンテナを張っていれば情報はいくらでも入ったと思うが、なぜ故にそれが出来なかったのか。山本伸一であれば、不穏な空気を見逃すわけがなく、不二の弟子の不在という現実を、まざまざと見せつけられた。

54年と現代では一体何か違うだろうか。現場では、「先生のために」、「先生に喜んで頂く」等、師への恋慕の一念を垣間見ることができる。こういう光景は54年当時も同じだったのではないか。皆、一生懸命に師を求め、学会活動に邁進していますが、だからそれで良しとするのか、それとも浅きを去って、不二の弟子の追求をするのか。不二の弟子を目指すならば、自己満足や自己都合の領域を越えていかなくてはならない。そして、一生懸命頑張っている先に不二の道があるのか。そうであれば、とっくに山本伸一は現れているはずなのだが、どうやらそうではないようだ。

創価の信心は、「師弟不二」を最上とする。だが、多くの人にとって、師弟不二は他人事であり、自分事ではないのが実情ではないだろうか。その根底には、「池田先生は特別だから」という思いがありはしないか。もちろん池田先生は、永遠の師匠であるから、特別といえば特別である。しかし、特別なのだけど特別ではない存在であり、我々と同じです。言うならば、病弱で、読書好きのマイナーな青年でしかなかった人です。

広宣流布の新世界は、幾千、幾万の山本伸一が出現することなくして、踏破することはできない道です。不二の弟子が陸続と現れない限り、令法久住は成り立たない。他のだれかではなく、自分自身が山本伸一たらんとしているのか、していないのか。究極的に問われるところはここである。山本伸一の一念も、一念三千の範疇から出ることはない。それ故に、誰もが山本伸一になることができる。

これからの創価学会の中での善の競争は、「誰が一早く、山本伸一へと覚醒していくか」ということではないか。山本伸一という不二の弟子へと覚醒し、師と同じ観点から物事を考え、行動していくこと。そしてそれは誰かではない、他ならぬ自分自身なのだ。