投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年12月23日(水)00時37分36秒   通報

>戸田先生は20年後何を頼もうとされたのか?
日記では池田先生は、不思議なことと記載されていましたが<

この問いの答えは、随筆人間革命の「師弟の誓いの天地・氷川」(2003年7月23日 『随筆 春風の城』収録)に詳しく書かれています。そちらを参照していただければ謎はすべて解けますが、探すのも面倒な人もいると思いますので、私が説明(軽く)したいと思います。

まず、正確には20年後ではなく10年後です。
戸田先生「不思議なことを言うようだが、今夜は、はっきりと言っておこう。今日から十年後に、みんなそろって、また、ここへ集まろうではないか。私はその時、諸君に頼むことがある」

今日からの起算日は、昭和29年9月5日(水滸会の野外訓練の日)より10年後ということです。よって昭和39年9月5日に、戸田先生は何かを頼もうとされています。このことについて、池田先生が見逃すはずがなく、随筆でこのように記されています。

「三百万世帯を遥かに超えて迎えた「十年後」のその年(昭和三十九年)、既に恩師は世になく、奇しくも七回忌にあたっていた。  同年七月、私は、恩師との誓いを確認しながら、氷川に集った水滸会員に言った。
 『君たちよ、広宣流布という大目標に向かっての人生であってくれたまえ。この世に生を受けた汝自身の使命を新たに自覚されたい。  勇気! 勇気の生命を脈動させ、私と共に、広布のため、創価のために、大激戦を勝ち抜いてもらいたい!』
 私は、この年、牧口、戸田の両先生の悲願であった新たなる教育改革のために、満を持して、創価大学の設立構想を世に問うた。 私は、政治の改革を求める衆望に応えて、公明党を結成した。 」

池田先生は、戸田先生が10年後に頼もうとされたことは、「教育改革」と「政治改革」であると考えられ、具体的に形にされました。随筆で言われていることは、とにかく宗教のための宗教ではなく、社会変革の宗教であり、一度それを実行するならば、三類の強敵が競い起こることは必定。社会に一歩踏み込む戦いを、戸田先生は託そうとされたものと推察されます。

「戸田先生は、あの氷川での一夜、我が子であり、弟子である我々に、厳粛に遺言のごとく叫ばれた。
 『私の真の弟子であるならば、広布のために、創価のために、最後の最後まで戦い続けよ!』
 『三類の強敵の嵐は、いよいよ激しく襲いかかってくるであろう。しかし、断じて負けるな。断じて勝つのだ!』
 今また、私の胸に沸騰する願いも同じである。 」(随筆より)

今、我々が拝するならば、「三類の強敵を呼び起こす戦いをせよ」ということではないでしょうか。出来上がった組織で安逸を貪るのではなく、真の意味での社会変革の戦いを起こしていくこと。いかなる時代においても「獅子」であれとの叫びに聞こえます。戦っているのではなく、踊っているだけの弟子にはなりたくないものです。そして、師の意図を正確に把握し、現実に形にしていった、池田先生のすごさがここにあります。