投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年12月12日(土)10時35分50秒   通報

教義変更について私が懸念していることは、教義を変更したことよりも、そこに至るプロセスの中に、「54年体質」が垣間見られることであり、そこに掲示板の趣旨である、「54年問題総括」とリンクしている。即ち、納得性もなく拙速に事を進め、懸念や反対する人を排除していく権威主義、そして、9割はついてこられるという、多少の犠牲はやむなしの一念。組織のためなら犠牲者が出ても仕方がないという一念こそが、組織を優先し、師を見殺しにした54年体質そのものではないか。この根底にある54年体質こそが、創価学会総体の宿命であり、それをどのように転換していくかというのが、掲示板の議論の大筋でしょう。

体質という目に見えないものとの戦いにおいて、派手さは必要ありません。派手さを求めるのは決まって、傍観者や、野次馬的精神の持ち主です。派手であれば分かりやすいし、面白いからです。これは所詮、他人事の一念であり、自分事ではないのです。もちろん、祈り抜き、熟慮した末に、派手な戦いを展開することを否定しているわけではありません。要は、自分事と捉えることができるかどうかが本質ということです。

創価学会の今の繁栄ではなく、10年、20年、100年先の、繁栄を考えていくのが宿坊の掲示板でしょう。そのための「気づき」の議論であり、54年体質を打ち破るには、会員一人ひとりの意識が変革され、師弟不二の信心が根本でなければならない。教義変更の問題でいうならば、先生の了承があったかなかったという浅い次元の話ではなく、創価の魂である、三代会長の精神が脈打っているのかどうかということです。

師弟の宝冠VOL.6より
「昭和54年、私は第三代会長を辞任せざるをえなくなった。戸田先生と私が築いてきた『師弟の道』を、壊そうとする人間が出たのである。」

師を蔑にして、師弟の道などあり得ない。創価学会は人間主義であってこそ、仏意仏勅を名乗ることができる。人間主義こそが三代会長の精神であり、魂です。それは、誰(会員)も犠牲にしないということであり、マイノリティを大切にするということです。今の創価学会中枢には、それを感じることができないからこそ、心配なのです。こんなことでは54年同様、師弟の道から反れていってしまうのではないかという懸念です。

師弟の道を壊す人間を容認する弟子がいるだろうか。組織主義、事なかれ主義に陥り、「仕方がない」が横行すると、師弟の道は壊されていく。師弟を分断させない戦いというのは、水面下での激しい攻防戦となる。たった一人の意識を変えることがどれほど大変か。これは実践した人にしかわからない。しかし、54年体質を変革するというのは、一人一人への誠実なアプローチという、地味な戦いこそが確実な道である。決して一朝一夕にはいかず、拙速は敗北の元である。

派手さは一過性のものでしかなく、体質改善には至らないケースが多い。54年体質という創価学会の宿命転換を成し遂げるには、まさに「忍辱の衣」を纏い、自身の血と汗と涙を流しながらの一歩一歩の前進が肝要です。それが王道であり、一人でも多くの人が王道を実践していくなかにこそ宿命転換がある。これが創価学会の未来を創ることになり、数十年、数百年先の繁栄につながる。そういう方向にもっていってこそ、宿坊の掲示板の価値がある。師弟の道を歩む創価学会の中にしか、世界広宣流布は存在しない。師弟が分断されたなら、ただの烏合の衆である。それをいかに止めるかが、弟子の戦いなのです。