2015年12月20日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年12月20日(日)08時59分19秒 通報 編集済 十三世紀の日本において、日蓮大聖人の“大慈大悲”の熾烈な闘争よって三大秘法の法門が打ち立てられ、 大聖人の大慈悲の生涯を原動力として、創価三代の師匠が 末法万年尽未来の彼方まで広宣流布していこうと立ち上がり、今日の創価学会を築きました。 今度はその後継の弟子が“主師親の三徳”を体得(発迹顕本)し、 創価三代の大慈悲の生涯を原動力として、広宣流布していこうと立ち上がる時がいよいよ到来したのです。 池田先生の 「闇が深ければ深いほど、暁は近い。 ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していく」との指導は、 私たちに無限の勇気と希望を与える言葉であり “自分自身と創価学会の発迹顕本を必ず成し遂げてみせる”との確信漲る厳愛の励ましだと思います。 ゆえに先生は本門の弟子全員に“頼む”と厳命したのだと確信します。 昭和三十一年七月、参議院大阪地方区選挙(当時)において、 負けて当然といわれた大阪が池田先生を中心とした戦いで大勝利し、 勝てると思われた地方が無慚に敗れた法戦の歴史を通して師弟不二のあり方を教えました。 それを最後に記して終ります。 ――広布実践における師弟の関係を単なる師弟の道ととるか、 師弟不二の道ととるかが、はじめてあらわにされたと見なければならない。 師の意図するところが、現実にあらわれるか、あらわれないかは、弟子の実践の姿を見れば容易に判断のつくことである。 師の意図が脈動となって弟子の五体をめぐり、それが自発能動の実践の姿をとるとき、 師弟の連結は、はじめて師弟不二の道をまっとうすることが辛うじてできるといわなければならない。 師弟に通ずる生命の脈動こそ、不二たらしめる原動力である。 そのためには、師の意図の脈動が何を根源としているかを深く理解し、 みずからの血管のなかで消化する強信にして困難な信仰作業を必要とする。 その本源の師弟の力は、いうまでもなく御本尊につきる。 (中略) 師の意図に教条的にただ追従することは、弟子にとってきわめて容易なことだ。 師の意図からその根源にまで迫って、 その同じ根源を師とともに分かちあう弟子の一念は、まことに稀だといわなければならない。 しかし、この稀なる一念の獲得にこそ、微にして妙なる師弟不二の道の一切がかかっているのである。 (人間革命10巻「脈動」109㌻~) ― 完 ― Tweet