投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年12月19日(土)15時47分3秒
地球が誕生してから約46億年といわれていますが、地球の万物は
太陽と地球との関係によって生み出される宇宙のリズムに合わせて生活を営んできました。

その営みの鼓動は、地球上の生命それ自体に内在しているといっても過言ではありません。

人が病気や老衰などで息を引きとる時も、この宇宙のリズムと何らかの関係があるとされています。

また昔から引き潮の時に人は死にやすいとされているのは、引き潮は月の運動と関係があり、
体全体のリズムがこの時刻にもっとも停滞的となり、死にやすい状態になるのではないかと考えられているのです。

最も闇が深いといわれるこの時刻(子丑の終わり寅の刻み)に諸仏は成道する――言い換えれば、
信心を第一義において戦っていくならば、最も苦悩に満ちた時にこそ、また生死の移り変わる瞬間にこそ、
仏力が顕著にあらわれるということであり、自身の境涯の深化がなされるということではないかと思います。

池田先生も小説《新・人間革命》のなかで

「いざ困難に出くわし、窮地に立たされると“もう駄目だ”とあきらめてしまう。
しかし、実は、困難の度が深まれば深まるほど、もう少しで、それを乗り越えられるところまできているんです。

闇が深ければ深いほど、暁は近い。
ゆえに、最後の粘りが、勝利への一念を凝縮した最後の瞬発力が、人生の勝敗を決していくんです」(22巻391㌻)と述べています。

釈尊が菩提樹の下で成道した時刻も明けの明星が輝くころであり、
大聖人が竜口で最も闇の深い「子丑の時刻」にくびをはねられ、発迹顕本されたのもこの時刻です。

開目抄には「日蓮という者は去年の九月十二日、子丑の時にくびをはねられた。
これは法華経身読をもって、わが身に三徳(主師親)を具備した仏界の境涯が涌現して佐土の国にいたり、
その境涯で翌年の二月《開目抄》を著し、雪の深い佐渡の国より鎌倉方面の有縁の弟子に送るのである。

この書を拝する弟子たちは、濁劫悪世に法華経を弘通する大難を思うて怖じ恐れるであろう。
しかし日蓮は『われ身命愛せず、ただ無上道をおしむ』の法華経の行者であるから、なにひとつ恐れるものもなく、
日蓮と同じく広宣流布の決意をかたく持っている者は絶対に恐怖がないのである。

『身命を愛せず』の志ざしの決定していないものはこの書を読んでいかほど怖れることであろう。
これは釈迦・多宝・十方の諸仏が法華経に予言した三類の強敵を日蓮が一身に受けて末法の弘通と大難を実証している。

すなわち日蓮の行動は明鏡であり、勧持品の予言は日蓮の形見であり、開目抄こそ日蓮の形見である(通解)」(二二三頁)とあります。

この御文が事実として大聖人が発迹顕本したという実証であり、御本仏としての自覚に立った文証です。