投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年12月19日(土)15時46分6秒 通報
さて、池田先生はなぜ「この時」にこのような指導を弟子たちにされたのでしょうか。
「自分自身と創価学会の発迹顕本を頼む」――この指導について考えていきたいと思います。
はじめに、仏の成道について大聖人は
「三世の諸仏の成道はねうし(子丑)のをわり・とら(寅)のきざ(刻)みの成道なり」(一五五八頁)と述べています。
三世の諸仏とは、過去・現在・未来の三世に出現する諸々の仏のことで、成道は“悟りを開く”ということです。
いったい何を悟るのかというと
「自分は何者で、何のためにこの世に生まれて来たのか、その目的は何か」などを覚知することだと思います。
その覚知した凡夫のわが身に久遠の仏界の境地を顕し、どんな大難が来てもそれを乗り越え、
全民衆を救っていく勇者として振る舞う――これが発迹顕本です。
そして、大聖人は
仏が成道する時刻は「ねうし(子丑)のをわり・とら(寅)のきざ(刻)み」と述べています。
現在では1日を24時間として1時間単位で区切っていますが、中世の日本では明治に入るまで1日の時刻を
「十二支」であらわし、1日24時間を12に分け「子の刻」「丑の刻」というように時間を表現していました。
「刻」は2時間を指し、たとえば子の刻は「初刻23時・正刻0時・終1時」と3つに分けます。15
これからすると「ねうし(子丑)のをわり」は1時から3時で「とら(寅)のきざ(刻)み」は3時の始まりから5時にあたります。
さらに正刻を基準にすれば「子丑の刻」は0時から2時、「寅の刻」は4時です。
古来、丑寅(うしとら)の時刻は1日のうちで夜(死)から昼(生)に向かう中間の意味をもつとされ、
大石寺・日寛も開目抄愚記のなかで
「丑寅の時とは陰(おん)の終り、陽(よう)の始め、すなわちこれ陰陽の中間(ちゅうげん)なり。
またこれ死の終り生の始め、すなわちこれ生死の中間なり」(文段192㌻)と述べています。
現代的にいえば、子の刻が夜中の0時、丑の刻が午前2時、寅の刻が午前4時ごろにあたります。
だいたい午前4時ごろは、夏ならば太陽が東の空を白く染めるころで、1日の活動が始まる時です。
また午前2時から3時にかけては、暁を前にして最も闇が深く、万物の眠りも深い。
子丑の刻は前日の生命の終わりであり陰の終わりです。
これに対して、寅の刻は新しい1日の生命の始まりであり、若々しい生気にあふれた陽の始めといえます。