投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年12月 6日(日)15時58分14秒   通報

ご観念というのは「祈り」であり「ご祈念」です。

このような個人の祈りの部分まで教団が細かく立ち入ることは、どう考えても行き過ぎだと考えます。

もちろん、初信の会員には、ある種の目安がなければ混乱するのも事実です。
また勤行を丁寧に教えてあげることも大切であり「ご祈念」のこともマニュアルを提示してあげた方が安心でしょう。

そういう意味で教団が一つのマニュアルとしての経本が制定されるのは、ごく自然なことです。

しかし、それを厳格な規定にしてしまうと、やはり伸び伸びとした信仰を損なうことにもなりかねません。
細かい文言は各自が判断して決めればいいことです。

一番大事なことは、皆を御本尊への信仰に導き、皆が幸福を勝ち取ることではなかったのか。
そして、皆をどうすれば御本尊の方へ導けるか、どうすれば御本尊への信仰を深めることができるか――。

そうして、会員が信仰を続けられるように皆で助け合える和合僧団を築くことこそが、
池田先生の目指された「人間学会」なのだと思います。

創価学会に所属する会員の「機根と状況」はさまざまで、
信心を始めたばかりの初信の人から、御書を本格的に学ぼうと決意する人。

また御書を通して指導する人から、今までの経験を活かして後輩にアドバイスをする人。

そして、自身の悩みを乗り越えていこうと唱題に挑戦している人から、
違う方向を向いている人等々、じつに多彩な人材群に彩られています。

大聖人は法華経によって
「仏道修行をする人々にも上・中・下の三つの機根の違いはあるが、
必ず一生の内にわが身が如来であることを覚知し、仏の境涯を現すことができる(通解)」(四一一頁)

と述べられました。

この「上・中・下」の三つの機根ということですが、
上根の人は法門を聞いたその場で覚りを極めて顕す衆生です。

中根の人は一日、もしくは一ヶ月、一年と時間はかかりますが、数年のうちに覚りを極めて顕す衆生です。

また、下根の人は仏法の理解に進展がなく、行き詰ったままですが、
一生のうちに成仏することは決まっているので、臨終の時に初めて夢から覚めた時のように、

生死の妄想の邪見が消え失せて、わが身が諸仏如来と一体不二であることを覚知する衆生です(趣意「十如是事」四一一頁)。

それでは本題に従って、この「上根・中根・下根」の弟子と、それに関連して「未顕真実」を考えていきたいと思います。