投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年11月25日(水)14時22分25秒   通報

大聖人は「今末代悪世に世間の悪より出世の法門につきて大悪出生せり」(一四六六頁)
――今、末代悪世には世間の悪よりも出世の法門に従うことによって大悪が生じている(通解)と断破します。

つまり、末代悪世においては世間的な悪よりも、仏法上の悪のほうが民衆を苦しめる大悪となっているとし、
そのために罪業を作り社会全体に大きな災いをもたらしているのだと破折しました。

悪世とはいえ、世間的悪は「悪い」という事がわかれば、それを犯すまいという心が働きます。

しかし、仏法上の悪は一見、誰もが善事と見えるため、
それを止めようとする心が働きにくく、より多くの人が犯してしまうのです。

その結果、そこからくる不幸や苦しみは、世間的悪よりも仏法上の悪のほうがはるかに深く大きい。

ここに誤った信仰を指摘し、正しい仏法を教えようとされた大聖人の苦難があったと思います。

私たちに置き換えて考えれば、
本来「釈尊・日蓮大聖人・創価三代会長」が一貫して願ってきたことは全民衆の成仏(幸福)です。

いかなる人も、尊極の仏性を現すことができる存在であることを認め合い、
互いに尊敬しあって平和な社会を築いていくことが仏法の本質です。

また、爾前経といわれる経典も人間の尊厳性を示す仏法思想の一端が示されたものです。

本来であれば、仏教の智慧全体が人類に多大な貢献をする「人間宗」の思想となるべきなのです。
池田先生も常々、そのことを弟子たちに訴えてきました。

しかし、もしも近い将来において、学会執行部が先生の精神を忘れ、仏意を忘却し、
仏教の根本の理想(人間主義)を見失って私利私欲に執着し、創価学会を絶対化するあまり、
官僚主義に陥り、師匠の指導を忠実に実践する会員を処分するような事態になれば、
大聖人ご在世当時の仏教諸派と同じ邪教になってしまいます。

絶対にそうさせないために、弟子は己を磨き、信心の眼を開いて一切を見、教学を身につけるべきなのです。