投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年11月25日(水)14時23分8秒   通報

この当時の諸宗の僧たちは、不軽菩薩を迫害した四衆のように、
法華経の行者である大聖人を徹底的に憎み、道門増上慢、僭聖増上慢の働きと化していました。

しかし、当時の一般の在家の人々は、宗教の権威や僧侶の外見の姿に迷っていて、そのことが分からなかったのです。

その結果、人々は仏教を実践し善根を積んでいたつもりでも、実際には謗法の毒に染められてしまったのです。

つまり、当時の衆生は薬だと思って毒を飲まされていた――。それが、

「出世の法門に従うことによって大悪が生じている。
これを知らないので今の人々が善根を積むものと思って諸宗の教えを修しているので、
いよいよ世が亡びる事態が出来しているのである(通解)」(一四六六頁)

と述べられたところです。

そして「今の世の天台宗・真言宗等の諸宗の僧等を供養することは、外見は善根を積むように見えるけれども
内実は十悪業・五逆罪にも越えた大悪の行為なのである」(同頁)と断言します。

学会幹部もまた、師匠の精神を忘れ、名聞名利に走り、官僚主義に陥って
会員を奴隷のように扱ってしまえば「今の世の天台宗・真言宗等の諸宗の僧等」と同類です。

このような学会幹部に供養することは、外見は善根を積むように見えるけれども
内実は十悪業・五逆罪にも越えた大悪の行為なのだと言えるでしょう。

大聖人はこういう事態を解決する方途は、仏の智慧を持った「智人」と「賢王」とが共に
大悪を戒めていかなければならないことを示され、

「それゆえ、世の中が治まるには、仏のような智慧をもった智人が世にいて仙予国王のような賢王と寄り会って、
ひたすらにそうした善根の行為を止めてそれをとどめ、大悪をもって八宗の智人と思われている者を責め、
あるいは流罪し、あるいは布施を止め、あるいは頭をはねてこそ、世の中は少し治まるであろう(通解)」(同頁)と述べました。

「仙予国王」とは、仏法を守るためにバラモンの命根を断ったと涅槃経に出てくる王です。

「仏のような智慧をもった智人」とは、謗法と悪僧の正体を見破り、徹してその悪と戦い、
民衆を悪法から救っていく闘争に尽力して、仏教が本来目指した生命尊厳の思想を世界に広めていくのが
「仏の智慧」を持った真の「智人」といえます。

この智人が正邪を峻別する資質を持つ、優れた「賢王」と共に協力し合い、民衆を苦しめる邪義を打ち破って、
民衆を救い、安穏な社会が築いていくことを明かされたのが上記の御文です。

この「智人・智者」としての闘争に立ち上がったのが日蓮大聖人であり、創価三代の師匠です。

大聖人はこの謗法の恐ろしさを万人に教えるために、命にもおよぶ大難に耐えながら、
当時の「出世の僧」たちこそ仏法破壊の「大悪」の存在であることを訴え続けました。

私たちに置き換えて言えば、

池田先生の真の弟子ならば、どんなに脅されても職員幹部(出世の僧)の不正と堕落こそ、
仏法破壊(学会破壊)の「大悪」であることを訴え続けることです。

なぜなら、池田先生は繰り返し繰り返し
「不正を行う悪い幹部は学会から叩き出せ!」とあらゆる会合で弟子たちに訴え続けてきたからです。