投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月16日(月)12時22分58秒   通報
■ 「差別する」一切と戦う、人間は、どこまでも人間!

名誉会長: ともあれ、どんなきらびやかな言葉も、民衆の現実の苦しみに背を向けたのでは、偽善にすぎない。自分が「高い所」にいて、安穏に暮らしているだけなら、もう仏法は死んでいる。
法華経の真髄を弘めるために出現された大聖人が、あえて社会的に最も「低い所」にお生まれになり、御自身を「施陀羅が子」と宣言なされた深義を、かみしめなければならない。大聖人は、あえて、一番苦しんでいる民衆の中に生まれ、「差別される側」に生まれて、大迫害を受けながら、「差別する人間」たちとの人権闘争を展開されたのです。この戦いこそが法華経なのです。

須田: 比叡山で学ばれたのですから、経歴としては、いわば当時のエリートコースです。故郷の寺院で安穏に暮らそうと思われたら、難しいことではなかったと思います。しかし、あえて大聖人は安穏な人生を捨てられました。

名誉会長: 次元は達うが、「自分を低い所におく」ということで思い出すのは、パール・パック女史(ノーベル文学賞受賞者)の著書『母よ嘆くなかれ』(伊藤隆二訳、法政大学出版局)です。
知的障害者として生まれた娘さんを抱えて、苦闘した軌跡を、ありのままに綴ったものです。どれほど心がずたずたになり、どれほど絶望と希望の間で心が揺れたことか —- 。
彼女が、一人娘のためにふさわしい施設(学園)を探していた時のことです。彼女が直面したのは、障害をもった子どもたちを世話する人たちが「この子どもたちもまた人間である」ことを理解していないという事実だったという。
「この、知能の発達が困難な子どもたちは人間であり人間としての苦しみ —- 自分ではよくわからない深い深い苦しみを味わっているのです。人間はどんなことがあっても、単に動物ではないのです」「このことだけは絶対に忘れてはならない、とわたしは思います。人間は永遠に獣以上のものなのです。たとえ知能の発達が困難で、ことばを話せず、そして人との意思の疎通にこと欠くことがあるにしても、人間としての本質はあるのです。あくまでも人間は人類家族に所属しているのです」。肺腑をえぐるような言葉です。
■ 「すべてのことは幸福から」

名誉会長: やがてパール・パックさんは、娘を託せる学園を見つけた。そこの園長先生は「まず第一に幸福を。すべてのことは幸福から」を、モットーにしていた。
「そのことばは決して感傷ではないのです。長い経験から生まれたものなのです。子どもの魂と精神が不幸から解放されない限り、わたしたちはなに一つ子どもたちに教えることができないのだ、ということをわたしは経験から学んだのです。幸福な子どもだけが、学ぶことができるのです」
牧口先生の「教育の目的は、生徒の幸福」との哲学にも通じる。
ともあれ、パール・パックさんは、「自分の娘からたくさんのことを学ぴました」と言う。「人はすべて人間として平等であること、また人はみな人間として同じ権利をもっていることをはっきり教えてくれたのは、他ならぬわたしの娘でした。 —- もしわたしがこのことを学ぶ機会を得られなかったならば、わたしほきっと自分より能力の低い人に我慢できない、あの傲慢な態度をもちつづけていたにちがいありません。娘はわたしに『自分を低くすること』を教えてくれたのです」。
「自分を低くすること」 —- 素晴らしい言葉だ。今は、「他人を低くすること」しか考えない世の中になっている。他人のあら探しに狂奔し、少しでも貶めようと躍起になっている。嫉妬社会です。

遠藤: パール・パックさんは、文学者であるとともに、平和運動家としても知られています。「人間の内なる尊厳」に目覚めた人は、それを他の人に訴えずにはいられないものなのですね。

名誉会長: その通りです。彼女は、「自分を低くする」指導者でなければ人を幸福に導くことはできないと知った。
「指導者とは、生来親切で、愛情深く、直接手をくださなくても、子どもたちに好かれながら子どもたちに規律を教えることのできる人でなくてはなりません。その人が、高等教育を受けているか否かは、重要なことではないのです。子どもの下に立つ人(子どもを本当に理解する人)でなければならないのです。なぜかというと、その人の毎日のつとめは子どもに奉仕することなのですから」
これは教育だけでなく、すべての指導者に言えるのではないだろうか。
「子どもの下に立つ」人であって、はじめて「子どもの心がわかる」し、導くこともできるのです。

斉藤: 感動的な話です。「万人が仏」と説く法華経の「行者(実践者)」が、だれよりも「低い」、「施陀羅が子」として出現なされたことも、考えれば考えるほど深い意義があると思います。

名誉会長: 永遠に「民衆の一人として」「民衆とともに」「民衆のために」生きるのです。その心を忘れて、将来、もしか自分は特別に皆より偉いと思うような指導者が出たら、皆で追放していきなさい。