投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月16日(月)08時58分40秒   通報
■ 本因妙の仏法は「希望の仏法」

斉藤: 向かい続ける —- というのが「本因妙」ですね。

名誉会長: 今が「久遠元初」なのです。今が「始まり」なのです。
過去は、もうない。未来も、まだない。あるのは、この現在という瞬間だけです。その現在も、あっという間に過去になっていく。有ると言えば有るし、無いと言えば無い。空です。空の状態で、生命は瞬間瞬間、連続していく。「瞬間」以外に、生命の実在はない。瞬間に幸福を惑じたり、不幸を惑じたりしているのです。
この瞬間の生命を、過去からの因果の「結果」と見たら「本果妙」の考え方になる。ああなって、こうなったから、今、こうなんだ、と。しかし、それだけでは「希望」は生まれない。この瞬間の生命を、未来の結果をつくる「原因」と見るのです。その原因も、生命の奥底に達した「本因」です。表相の原因ではない。
タテに、根を久遠の生命まで下ろし、ヨコに、法界に徹した「本因」です。それが「南無妙法蓮華経」です。宇宙の一切を動かし、生々発展させている「永遠の大生命」であり、大法則です。ゆえに、御本尊を信じ、妙法を唱え、行ずるとき、その時はいつも「久遠元初」なのです。
久遠の清らかな、「はたらかさず・つくろわず・もとの儘」(御書 p759)の大生命力がわいてくる。現在も未来も、自由自在になっていく。日蓮仏法は「希望の仏法」なのです。
法華経の文底に、この御本尊がしまわれているから、法華経は尊いのです。その一点を忘れたら、何にもならない。

斉藤: いつも「久遠元初」であり、いつも「さあ、これから!」なのですね。

名誉会長: それが本因妙の仏法の「信心」です。信心とは無限の希望です。
たとえ状況がどんなに悪かろうと、すべて負け戦のように見えたとしても、その中から「何くそ!」と思って立ち上がり、妙法の無限の可能性を実証していくのです。それが、信仰の本義ではないだろうか。無から有を生み出していくような、生死をかけた戦いなくして、本当の「信心」はわからない。損を得に、悪を善に、醜を美に変えていく —- 価値創造の壮絶な戦いが、「創価」の心です。それが「信心」です。
「一念に億劫の辛労を尽せば本来無作の三身念念に起るなり」(御書 p790)です。
〈億劫という、きわめて長遠の時にわたって尽くすべき辛労を、今の一念に尽くして(広宣流布に戦って)いくならば、もともと自分の身に備わっている無作三身の仏の生命が、瞬間瞬間に起こってくるのである〉
ちょっと状況が悪くなったくらいで、へこたれたりだれかを批判して、自分を防御しようとしたり、そんな卑怯な人間になってはならない。状況が悪ければ悪いほど、団結していくのが、まことの同志です。かりに何ひとつ報いがなかろうとも、広宣流布に、民衆の幸福の犠牲になる覚悟で、殉じていく。それが「信心』です。
この地球上に、妙法を広宣流布している団体は創価学会しかない。この尊き学会を守り抜くことだ。それ以外に、人類の光はないからです。
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普賢経から
此の大乗経典は諸仏の宝蔵なり。十方三世の諸仏の眼目なり。
三世の諸の如来を出生する種なり。此の経を持つ者は即ち仏身を持ち、
即ち仏事を行ずるなり。当に知るべし、是の人は即ち是れ諸仏の所使なり。
諸仏世尊の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子なり。汝大乗を行じて法種を断たざれ(法華経 p688)

この大乗経典(法華経)は諸仏の宝蔵である。十方三世の諸仏の眼目である。三世の諸の如来を生み出す種である。此の経を持つ者は仏身を持ち、仏事を行ずることになるのである。まさに知るべきである。この人は諸仏の使いである。諸仏世尊の衣に覆われ、諸仏如来の真実の法の子である。汝よ、大乗の教えを行じ、法の種を断ってはならない。

「普賢経」について
観普賢菩薩行法経(一巻、品分けはない)は、法華経最後の普賢品を受けて、普賢菩薩を観ずる方法を示すとともに、法華経の卓越性を説き、受持を勧めている。入滅三ヶ月前、毘舎利国の大林精舎に釈尊が滞在中に説かれたとされる。
内容は序分、正宗分、流通分の三つに分かれる。序分では「わが入滅は間もない」と告げた釈尊に対し、阿難らが、滅後に煩悩が盛んな凡夫が、諸罪を滅除する方法を尋ねる。 正宗分では、釈尊はこの問いに答えて、普賢菩薩を観ずる行を示す。次いで、この観法で感見する映像の広がりと相まって、大乗経典(法華経)への信行の深まる様相が示されている。
修行中、修行者である菩薩は、霊鷲山常住の釈尊の法華経の会座を感見し、「諸仏の宝蔵」「諸仏の眼目」「諸の如来を出生する種」である大乗経典を遠い過去世から修行してきた本来の姿を思い出す。「諸仏の諸使」「真実の法の子」という自覚に立って、諸罪を懺悔し、釈尊から受戒し、菩薩の正位に上がり、成仏が確証される。
最後の流通分では、釈尊は、この修行で、諸仏に護られて仏の悟りを得られると結論し、それを聞いた諸菩薩らは歓喜する。(漢訳は曇無密多による)
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■ 「創価学会の大いなる使命」

須田: アイトマートフさん(キルギス出身のロシアの文豪)が、昨年(98年)、沖縄で講演された時、こんな風に言われたそうです。
「人間主義という言葉は、非常に大事な言葉です。これまでの時代で一つの民族だけを結びつける、団結させる思想というのはありました。しかし、友情をもって、民族同士に心を開いていく、そうして心のつながりを築いていくというような団結は、これまでにない全く新しい団結の心です。
そういった団結が実現するためには、究極の、非常に崇高な思想がなければ、なりません。その崇高な思想は時代が生んだ偉大な人物が広めていかなくてはなりません。そして、池田大作氏と長年にわたってお付き合いをさせていただくなかで、この人こそ、その偉大な思想を広める偉大な人物である、と私は確信いたします」
「私が二十世紀をどういう時代であったかと問われたならぱ、恐ろしい残酷な『戦争の世紀』であったと言いたいと思います。
また、ある人は共産主義の誕生と崩壊というかもしれません。また、ある人は西側が生んだ『大衆文化の時代』であったというかもしれません。つまり、二十世紀とは、『西洋化の時代』であったという人もあるでしょう。
そして二十世紀を総括しつつ、それらの諸特徴のすべてを超えた存在として、つまりイデオロギー、政治を超えたものとして、この『創価学会の運動』をあげたいと思います。創価学会は二十世紀に生まれ、あらゆる試練、苦難を乗り越えて、また、前進を遂げて発展をしてきました。そのおかげで私たちは新しい世界観を見つけることができました。皆さんは、本当に誇りを持っていただきたいと思います。
今、全体の傾向として、グローバル(地球)化が進んでいます。それは経済においても、技術の分野でも、通信の分野でもそうです。しかし、それに加えて『精神のグローバル化』がなければ、人類の未来はないと思います。二十一世紀がグローバル化の時代であり、それこそが本当の進歩であると考えるならば、創価学会の皆さんは二十一世紀に向けて、大変、大きな使命を持っておられるのです」
「もしも、青年が将来に向かって人間主義の理念に触れ、人間主義を標榜する人たちに接していくならば、人類はさらに前進を続けていくことができる。二十一世紀も『人類の進歩の世紀』となる、そういった希望を私は持っています。
最後に、私が創価学会に対して思っていることを申し上げたいと思います。創価学会の人たちは自由であるとともに、創価学会の理念を実現しようとし、それを信じておられます。普通宗教の教義というのは、どこかで人間の内面世界を限定してしまいます。
その限定されるところが、創価学会には全くない。一人一人が全く一個の人格として自由でありながら、なおかつ共通の一つの思想を信奉している。このような素晴らしい現象を私は世界でまだ見たことがありません」
「地球というのは、未来の私たちの子孫に渡さなければならない遺産であります。これ以上、地球上で戦争やそのほかの紛争、対立など、破壊的なことを人間がやってはならないということです。二十世紀が終わり、二十一世紀を前にした今、人間の理性が、宇宙的な規模を持ちつつあります。つまり、人間が宇宙的な思考、宇宙的な自覚を持つ時代に入ったということです。海も山も平野も土も空気も、みんな人間が責任を持って守っていかなくてはいけません」
■ 「不軽」の実践に徹せよ

遠藤: 明快ですね。
この連載の冒頭で「宇宙的ヒューマニズム」を論じていただきましたが、本当に時代は、その方向に向かわざるを得ないと思います。

名誉会長: 宇宙から地球を見たら、この美しき星を二百近くもの「国家」に分断して、いがみ合っているのが、どんなに愚かなことかわかるでしょう。
人間は、日本人である前に、アメリカ人である前に、ロシア人である前に、人間です。その当然のことがわからなければ、二十一世紀は暗い。動物的な、暴力の世紀になってしまう危険性がある。
人間が人間らしく、助け合って生きていく社会、人間が人間らしく幸福に生きていく平和を追求しなければならない。その根本が、法華経の真髄である日蓮仏法の「不軽の精神」です。「一人の人を徹底的に大切にしていく」哲学です。このことは何度も言ってきた。しかし大事なことは、具体的な「実行」です。
一人の青年でもいい、一人のお年寄りでもいい。ともかく、その人のもとへ飛びこんで、徹底的な愛情を注いでいくことだ。中途半端や無責任は、仏法にはない。それでは、尊い「如来の使い」の仕事を、「世間」の低い次元に変質させてしまう。
「だれかがやるだろう」「何とかなるだろう」という無責任は、信心にはない。そこには、本当の喜びはない。生々世々、侮いが残るだけです。創価学会は、現実に、「一人の人を幸福にする」苦闘を重ねてきたから偉大なのです。

須田: 亡くなった、フランスのルネ・ユイグ氏(美学の大思想家)は「物質至上主義の現在は、人類にとって最低の事態であると言わざるを得ない」と憂えておられました。そして「今こそ精神文明を呼び起こすべきである。人類と世界の危機を救えるのは、生命次元の哲学をもち、人間精神を正常な軌道に乗せるための実践を展開している池田会長とSGIしかない」と言っておられたそうです。