投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月14日(土)10時16分3秒   通報
■  「母と子の絆」のごとく

遠藤: 「恋法」について、大聖人は「妻のをとこをおしむが如くをとこの妻に命をすつるが如く、親の子をすてざるが如く・子の母にはなれざるが如くに」(御書 p1255)とも言われています。<妻が夫を、こよなく大切にするように、夫が妻のためには命を捨てるように、親が子を捨てないように、子どもが母親から離れないように>
「信心と申すは別にはこれなく候」(同)と。
「特別なこと」は何もない、人間としての自然な感情の延長線上にあるのですね。

名誉会長: 「子の母にはなれぎるが如く」とあったが、こんな話がある。
未熟児(超低出生体重児)で生まれた赤ちゃんがいた。生後一週間で容体が急変し、看護婦さんが、どんなに刺激を与えても反応を示さない。ところが、急いでお母さんに集中治療室に来てもらい、お母さんがその子の名前を呼びかけたら、たちまち心拍数が増えたという。生命は不思議です。
そのお母さんのような大慈悲で、仏はいつも衆生のことを思っている。それを信じて、素直な心で、「お母さーん」と飛びついていくような気持ちで、御本尊に題目をあげていくことです。自分自身に、その「恋法」の一念が強い人ほど、人に対する「勧発」の説得力も強くなるのです。

斉藤: たしかに、多宝会(65歳以上の学会員の人材グループ)の人の一言は、若い私たちの何万言よりも、心を揺さぶることがあります。

須田: 「確信」と「思いやり」の深さが違うんですね。

名誉会長: その「思いやり」こそが「普賢菩薩」の心なのです。温かく、また熱い心です。もともと、サンスクリット語の「普賢(サマンタ・バドラ)」は、菩薩行そのものを賛嘆する言葉だったね。

須田: はい。「普く賢れる」「だれよりも素晴らしい」「 だれもが賛嘆せざるを得ない」という意味合いがあるようです。「遍吉(だれよりも素晴らしい)」という漢訳もあります。
「普賢行」と言えば、「最高に素晴らしい実践」のことであり、利他行のことです。仏の利他行である「普賢行」を人格化したのが「普賢菩薩」であるという説もあります。
■ 文殊の「智」普賢の「行」

名誉会長: だから、ポイントは「行」にある。普賢菩薩が象徴しているのは「行」です。これは序品で、文殊菩薩が登場し、「智」を象徴しているのと対応している。
文殊の「智」は、世間でも“三人寄れば、文殊の智慧”というくらい有名だ。「智」を表す文殊から始まった法華経は、最後を「行」の普賢が飾るのです。法華経に説かれた「妙法」を、これから世界に広めていくのは「行」だからです。
文殊と普賢と言えば、大乗仏教を代表する二菩産です。その二人が「門番」のように、「法華経を守護」している。
じつは、文底の妙法を弘める「上行菩薩を守護」しているのです。そのことによって、どれほど末法に法華経を弘める人(上行菩薩)が尊貴なのかを、人々に、わかりやすく教えているとも言える。

遠藤: 二菩薩とも、大乗仏教のヒーローですから。

名誉会長: それが、この後、釈尊が説いた「普賢、若し是の経典を受持せん者を見ては、当に起って遠く迎うべきこと、当に仏を敬うが如くすべし」(法華経 p672)との一文です。