投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月11日(水)12時27分55秒   通報
■ 離婚について

須田: 「会いたくない」ほうは「怨憎会苦」ですね。はじめ愛し合って結婚したはずの二人も、いつしか「顔も見たくない」となる場合もあります(笑い)。
そこで「離婚」の問題ですが、やはり自分の宿命転換に打ち込んで、離婚しないよう頑張るべきなのでしょうか。

名誉会長: これは本人が決めるしかない。周囲が別れなさいとか、別れてはいけないとか言う資格もないし、離婚したから信心がないなどと言ってはならない。全部、本人の自由です。
離婚しようがしまいが、最後に幸福になればいいのです。人間革命できれば、それでいいのです。
結婚しようがしまいが幸福。子どもがいようがいまいが幸福。これが信心です。幸福は自分の胸中にあるものだから。
人間は一人で生まれ、一人で死んでいく。その一人の「自分自身」を変革しきっていくための今世です。だから、周囲を「善知識」にして、一切を仏道修行と思って頑張りなさいというのです。
戸田先生も、「主人とうまくいかないが、このまま我慢してやっていったほうがいいでしょうか。別れたほうがいいでしょうか」と質問されて、「夫婦の仲にまで入るわけにはいきません」と答えておられた。
「別れるなと言うのでもありません。別れろと言うのでもありません。ただ、そういう夫をもたなければならないあなたの宿業が打破されないかぎりは、その人と別れても、また同じようなことで苦しむのです。同じく苦しむなら、今の亭主で間に合いそうなものではないか」と教えられたのです。

遠藤: 子どもの問題もありますから、少なくとも、まだ成人していない子どもが苦しむような選択は慎重であるべきだと、私個人は思います。

斉藤: かつて池田先生は「離婚する、しないは、プライベ-トな問題で、当然、本人の自由です。しかし“他人の不幸の上に自分の幸福を築く”という生き方は仏法にはない。それを基準に考えてください」と答えておられましたね。

名誉会長: 両親の仲がよければ、それにこしたことはない。しかし両親が離婚したから必ず子どもが悪くなるとも言えない。むしろ、そういう苦難のなかから、より立派に成長した人も、たくさんいます。

須田: 再婚して、見違えるように幸福になった人もいます。

名誉会長: 要は、自分自身が、自分の立場で、自分を見つめきって、人間革命に挑戦し抜いて、そのうえで自分で決めることです。その「強盛な信心」があれば、最後は必ず幸せになる。何があっても、退転せず、前へ前へ、広宣流布しきっていく「信心」があれば、最後は勝利する。それだけわかっていればいい。

須田: よくわかりました。

名誉会長: もしか離婚した場合は、くよくよしないで、貴重な勉強だったと思って、前以上に広布に頑張っていけばいいんです。また、そういう人を周囲が温かく応援してあげてほしい。そして、母と子、父と子だけであっても、寂しがらないで「そのぶん、たくさんの友だちをつくろう!」というくらいの大きな気持ちで生きていただきたい。
そもそも完全に成功した結婚なんて、ほとんどないと言われている。「99%は失敗だ」という人もいる(笑い)。外からは、うらやましいような家庭に見えても、内実は悩みがいっぱいというのが現実でしょう。
モンテーニュだったか「王国を統治するよりも、家庭内を治めることのほうが難しい」と言っている(笑い)。

遠藤: 夫婦げんかなんかも、あっていいんですね(笑い)。

名誉会長: けんかできる元気があるだけ、「健康な証拠」だ(笑い)。
大体、夫婦とも同じくらいの項涯だから、けんかになる。妻や夫を、自分の子どものように思えるようになったら、境涯が段違いだから、けんかになりません。がみがみ言われても「おっ、まだ元気だな」(笑い)、「生きてる証拠だ」(笑い)というくらい、楽しく、朗らかに生きればいいんです。
大境涯になれば、ギャーギャー言われても、小鳥のさえずりのように聞こえる(笑い)。