投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月11日(水)06時44分16秒   通報
■ 「婦人と青年」の力で広宣流布

遠藤: 妙荘厳王は、群臣を引き連れて、仏のもとへ行きます。浄徳夫人も二人の王子も、それぞれ眷属を引き連れて行きます。
王宮をあげての帰依です。王は、素晴らしい仏の説法に「大いに歓悦」して、仏に真心の供養を捧げ、仏を讃えます。すると仏は、「この王は未来に成仏して沙羅樹王仏となるだろう」という授記を与えます。これを機に、王は国を弟に譲り、一族ともに仏道に専念します。

斉藤: 一国あげて、「邪見の国」から「正義の国」に変わったと考えられます。

須田: 広宣流布ですね。

名誉会長: 「母」と「子」が、権勢ある「父」を改心させたのです。「婦人」と「青年」が立ち上がって、広宣流布したのです。
権力や財力をもって、正法に反対している「邪見」の指導者は、悪の妙荘厳王です。それに対し、なんの権力も財力もない学会員は浄徳夫人であり、浄蔵・浄眼です。
学会も猛反対の嵐のなか、何にもないところから出発して、ただ妙法の力によって、実証を示し、民衆の力を示し、団結の力を示して、社会の「邪見」を改めさせてきた。

遠藤: これこそ「奇跡」だと思います。

須田: 「神変」ですね。

名誉会長: だれがやってもできることならば、何も信心はいらない。できないことを可能にするのが信心なのです。

遠藤: 王は、その後、八万四千年にわたって法華経を修行します。八万四千の煩悩を乗り越えたという意味かもしれません。煩悩即菩提の妙法の功徳で、わが身を荘厳しきったということだと思います。そして、仏に対して、王は言います。
「この二人の子は、私の善知識です。私を救いたいと思って、私の家に(子どもとして)生まれてきたのです」

名誉会長: 自分の子どもに心から感謝できる境涯にしたのです。
■ 家族は皆「善知識」

斉藤: 家族は「善知識」なんだというのが、法華経の家庭論のポイントではないでしょうか。自分の信心を磨き、人間として向上していくための「善き友」です。初期の仏典にも「妻は最上の友である」「わが家の友は母である」等とあります。

名誉会長: 家族になるのも深い宿縁です。「父母となり其の子となるも必ず宿習なり」(御書 p902)と。
夫婦についても「是れ偏に今生計りの事にはあらず」(御書 p1088)と仰せだ。深い縁のもとに、せっかく家族になったのだから、互いが互いの幸福を増進させる「善き友」でありたいものです。
広宣流布という高い目標に向かって、支え合い、補い合い、磨き合っていけば、それは「創造家族」とも言えるし、「成長家族」とも言える。決して、閉ざされた「城」のような家庭ではなく、理想に向かって、地域と社会に貢献しゆく「開かれた家庭」です。城ではなく、飛行機です。

遠藤: 宿縁ということで、この「妙荘厳王一家」には面白い話があります。(天台の)法華文句に説かれています。
昔、ある仏の末法に四人の仏法者がいて仏道修行をしていました。しかし、食べるものもなく、四人とも行き詰まってしまった。その時、一人が「このままではだめだ。君たち三人は仏道修行に専念しなさい。私一人は皆の食事係をやろう」と言い出して、「そうしよう」ということになった。
そのおかげで三人は、仏道を得ることができ、無量世にわたって功徳は消えませんでした。もう一人は、三人を助けた功徳で、生まれるたびに王になれたが、その功徳もいつまでも続くものではない。やがて苦しみの境涯に堕ちてしまうであろう。
三人は「彼のおかげで我々は悟りを得たのだから、救わねばならない。しかし今、彼は欲望に執着して『邪見』である。彼を救い出すには『家族の愛情の鉤』で引っ張り出すしかない」と相談しました。そして「一人は美人の奥さんになり、二人は聡明な子となろう」と決めて、王の家族となり、王を救ったというのです。

名誉会長: 面白いね。さらに、その浄徳夫人が、実は釈尊の法華経の会座に集った「妙音菩薩」であり、二人の子は「薬王菩薩と薬上菩薩」である。王は「華徳菩薩」である。こう明かされる。
三世を貫く生命の一族です。善友の連帯です。生命は不可思議です。人間は、いずこから来て、いずこへ行くのか。これは科学でも、政治、経済でも解決できない。これを解決できるのが仏法です。
本当に、いい家族、いい恋人に会った。幸せだ —- しかし、生老病死がある。いつかは別れなければならない。「愛別離苦」がある。しかし妙法を信じていれば、生々世々、一緒に生まれてこられるのです。ある場合は親子、ある場合は夫婦、あるいは弟に、妹に、親友に、いろいろ姿は変わるけれども、生々世々、ともかく近くに生まれてこられる。そして「共に宝所に至る」(法華経 p353)のです。だから妙法は素晴らしいのです。その原理を、妙荘厳王一家は教えているのです。
もちろん「二度と会いたくない」(笑い)というような場合には、一緒に生まれてこない。自在です。