投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月10日(火)12時55分32秒   通報
■ 自分の不幸を夫のせいに

須田: 人信は昭和40年(1965年)です。失業中のご主人を支えて、保険の外交をしていました。ご主人も形だけは入会したものの、異常なほどの猛反対。
創価学会をやめろと、毎晩、手当たりしだいに、つかんだ物でなぐる。酒の乱れが全部、信心の反対に向けられました。
ある時は仏壇を鉈で叩き壊され、石油をかけて燃やされたそうです。御本尊を懐に抱いて、はだしで飛び出したり、締め出されて、題目をあげながら夜を明かしたこともありました。
泣きながら先輩に訴えると、温かくも厳しい指導をされたそうです。「ひとつ反対されたら、ひとつ罪業が消えたと喜んで、明日からまた折伏に行ってらっしゃい!」と。
やがて、ご主人は大手ガラス会社の下請け業者になれたんですが、金づかいが荒く、貧乏は続きました。山下さんは、その中で、いつか家を持ちたいと思って、家計をやりくりし、こつこつお金を貯めていました。
しかし、やっと四百万円貯まったとき、喜んで通帳を主人に見せると、引ったくるように取り上げられてしまったのです。二日後には、部屋に通帳が放り出されていました。残高はゼロでした。全部、競馬ですってしまったのです。
山下さんは言います。「夫を恨み、考えることは離婚することばかりでした。でも先輩から『自分の不幸を夫のせいにしている、あなた自身が変わらなければ福運はつかないわよ』と言われ、その一言で腹が決まりました。
『仏法は体のごとし世間はかげのごとし体曲れば影ななめなり』(御書 p992)です。生活の上に表れた影の乱れに一喜一憂して、主人がああだこうだと愚痴るのはやめよう。自分の宿命なんだから、自分の責任で乗り越えよう。そして福運をつけるんだ、と。人ではない。全部、自分自身の境涯なんだ、と。依正不二の原理を深く確信したんです」。

名誉会長: その一念だね!「全部、自分が一生成仏するための勉強なんだ」と思えたら、すべては解決する。
人のせいにする愚痴の心がある分だけ、宿命転換は遅れる。「自分の宿命だ。自分の人生だ。まず自分が人間革命していこう」と決めて、苦しくとも、悲しくとも、御本尊に祈りきっていけば、必ず道は開ける。
■ 泣いても福運はつかない

須田: 本当に、そう思います。山下さんは「泣いても福運はつかないんだ」と、たゆむことなく学会活動に励みました。そのうちに、思いがけなく、駅前の土地を管理する話が舞いこんできました。そして入信して七年目の昭和47年(1972年)に、駐輪場を開くことができたのです。そして何より山下さんの心境が変わっていきました。
信心の喜びを知らない夫が、心からかわいそうに思えてきたのです。夫の発心を真剣に祈る毎日に変わりました。そして「自分の信心を深めてくれるために、夫は最高の“善知識”なんだ」と感じられるようになったのです。
「不思議なんです。夫への思いが感謝の一念に変わった時、夫のギヤンブル狂いが、ピタッと止まったんです。そして御本尊に掌を合わせる夫になったんです」
昭和51年(1976年)、ご主人が食道ガンで倒れました。
山下さんは「私の寿命を半分にして、主人に与えてください。ともに広布のために戦わせてください」と祈りました。
「今まで感じたこともないような主人への愛情と感謝の思いに涙を流していました。私は初めて、これまで無慈悲だった自分の生命に心から気づくことができたのです」
病院へ飛んで行くと、ずっと寝たきりだったご主人が、ベッドに起き上がっていたそうです。ベッドから自力で降りられるようにもなり、「そして初めて、広布のこと、学会のこと —- 何でも話し合える、心の通い合った本当の夫婦になることができました」。
ご主人は貪るように仏法を学び、翌年、使命を終えたよぅに霊山に旅立っていかれました。その見事な臨終の相を見て、親しい二人の人が入信したそうです。
「主人は、さまざまな功徳と罰の現象を見せながら、私に信心を教えてくれたんだと思います。最高の善知識だったのです。今、私は、『あのすさまじい苦難の道があったればこそ』と、心から感謝できる自分になれたんです」
そして境涯の革命は経済革命ともなり、「お金が、どんどん寄ってくるようになりました」と言われています。
念願の個人会館を建設しました。かつて山下さん一家を見るに見かねて、四畳半のアパートを借りてくれた友人は、しみじみと言ったそうです。「あなたは創価学会に入って、本当に幸福になったわねぇ」と。

名誉会長: うれしいお話です。ご一家のことは、よく知っています。(山下さんとは)創価大学でもお会いした。
何がうれしいと言って、「こんなに幸せになりました!」と会員の皆さんが喜んでいる姿ほど、うれしいものはない。そのためにだけ私は生きているんです。ほかのことは全部、枝葉末節です。
本来ならば、まじめな学会員さん全員に、一人一人お会いして、御礼も言い、励ましも贈りたい。それが私の本当の気持ちです。生身の体だし、それは不可能だが、全部、その思いを御本尊に祈りきって、生きています。だから幹部の皆さんは、私の代わりに、大切な会員の面倒を優しく見てあげていただきたい。皆、仏様の子どもです。
■ 民衆に仕える「無冠の王者」

名誉会長: 幹部に会員を叱る資格なんかありません。大事に大事に仕えていくべきです。
威張るんなら、権力者に対して、威張りなさい。叱るんなら、魔を叱りなさい。弱い立場の後輩を苦しめる幹部は卑怯だ。後輩を思いやれない無慈悲な幹部は成仏できません。意地悪したり、仏子を苦しめたら、罰を受けます。
私だって毎日、朝から晩まで「民衆の奴隷」のようなものだ。それでいい。それが本当の「王者」だと思っている。
「妙荘厳王」。「妙法の功徳で荘厳した王」です。〈御義口伝に「妙法の功徳を以て六根を荘厳す可き名なり」(御書 p779)と〉
権力で自分を飾っていくのではない。権威や財産や栄誉や名声で、自分を荘厳している限り、それは悪の、入信前の「妙荘厳王」です。
それらをかなぐり捨てて、「妙法以上の宝はない」と、信心に徹したとき、善の「妙荘厳王」となる。無冠の王者が一番尊いのです。
幹部となり、学会のおかげで有名人となった人間が、増上慢になって、「信心」以外のもので自分を飾ろうとし始める。そうなったら、もはや魔の存在です。

斉藤: 本当に、「見栄」が信心の「敵」だと思います。