2015年11月10日 投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月10日(火)06時45分14秒 通報 名誉会長: 「実証」の力です。「現証」ほど強いものはない。目を見張るような「人間革命」の実証を示したのです。 「一切は現証には如かず」(御書 p1279)「道理証文よりも現証にはすぎず」(御書 p1468)と、大聖人は仰せです。 特に、家族は、その人のことを一番よく知っている。外で、どんな偉そうなことを言っても、事実の姿を、じっと見ているものです。 もちろん「家族が一番、わからない」本人の一面というのもあるかもしれない。 しかし、いずれにしても、「ああ、この子は変わったな。成長した」「夫は何だか立派になった」 —- そういうふうに感じ、わかっていくものです。その「人間革命」こそ「神変」です。大聖人時代の池上兄弟が、猛反対する父を入信にまで導けたのも、兄弟が父の迫害にも、びくともしない人間的立派さを示しきった結果ではないだろうか。 斉藤: 神変とは、単に超能力のようなものではなく、人間革命するということですね。 大聖人も「成仏するより外の神通と秘密とは之れ無きなり」(御書 p753)と言われています。 須田: そうしますと、浄蔵・浄眼が「神変」を現したというのは、当時の民衆の機根に合わせた表現ということでしょうか。 名誉会長: そうも言えるでしょう。天台も、これは「世界悉檀」であると言っている。〈世間の人々の機根や志向性に合わせて法を説くいき方〉 そのうえで、神変とは「不可能を可能にする」信心を教えているとも言えないだろうか。一口に「実証」といい、「人間革命」と言っても、並大抵のことではない。 信心をしている人は多くても、「本物の信心」をしている人は少ない。生半可な、惰性の信心では、成仏はできません。自分勝手な、わがままな仏道修行などない。それでは「如説修行」ではなく「我説修行」だ(笑い)。 御書の仰せの通りに、「広宣流布一筋に」信心し抜いてこそ宿命転換ができる。一国の王を改心させるカギも「不可能を可能にする」ひたぶるな祈りと戦いで、民衆の「実力を示す」以外にない。なまやさしい考えでは、ケガをしてしまう。その厳しさを感じとるべきだと思う。 ■ 信心猛反対の夫をもって 須田: はい。一家の宿命転換ということで、素晴らしい体験をうかがいました。 以前に聖教新聞でも紹介された千葉の山下千恵子さん(鎌ヶ谷友光圏副婦人部長)です。約千坪の駐輪場を経営する会社の社長さんです。御本人は「とんでもない。あくまで“駐輪場のおばちゃん”ですよ」と笑っておられるようですが。 名誉会長: あ、あの個人会館の方だね。 須田: そうです。念願の個人会館ができて、池田先生から「山下栄光会館」と揮毫をいただきました。山下さんには「会館」という字が「宝の館」と見えて、先生の慈愛を感じ、震えるほど感激されたそうです。 遠藤: ご主人が信仰に反対だったんですか 須田: そうです。しかも並大抵の反対ではなかった。 結婚は戦後の混乱期。ご主人は事業に失敗して、ギャンブルと酒にのめりこんでいきました。住む家もなく、一家四人が知人の台所の片隅で雨露をしのぎ、昼間は小さな公園で、赤ん坊は地べたを這いずり回っていた —- と述懐されています。 親切な友人のおかげで四畳半のアパートに入ってからも、極貧です。夕食の支度をするにも、十円玉二つを握って、一山十円のイワシと、十円のホウレン草を買う。そのとき、背中の子どもが「お菓子がほしい」と騒いだ。「買ってやりたい。何とか、あと十円あれば」と夢中で商店街の雑踏のなかを探して歩いたそうです。「十円のない悲痛な思いを忘れることはできません」と言われています。 名誉会長: もともとは名家のお嬢さんだったね。 須田: はい。鹿児島で生まれ、生活は何不自由なかったそうです。ただ家庭不和の悩みがあり、そんな両親に反発して、人一倍、結婚には慎重でした。それなのに「結局、母と同じ宿命に泣くようになったのです」と。山下さんは、自立しようと離婚を決意して単身で飛び出しました。 子どもをかかえていては働くこともできません。終戦のころ、両親を相ついで亡くしていて、子どもを実家で預かってもらうこともできなかったのです。 結局、幼い姉と弟は、施設に入れられることになってしまった。しかも別々の施設です。それを聞いて、子どもいとおしさに胸がつぶれるような思いで、ご主人のもとへ戻ってきたのです。前にもまして暴力に脅える毎日が始まりました。 遠藤: 今なら別の選択肢もあったでしょうが —- 。 斉藤: まだ入信されてなかったんですね。 Tweet