投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月 8日(日)12時58分19秒   通報
■ 陀羅尼とは「諸仏の秘密の言葉」

名誉会長: 大聖人は、ずばり「陀羅尼とは南無妙法蓮華経なり」(御書 p772)と言われている。御義口伝伝です。
「其の故は陀羅尼は・諸仏の密語なり」(同)。仏と仏だけの「秘密の言葉」だと言うことです。「題目の五字・三世の諸仏の秘密の蜜語なり」(同)。「秘密の中の秘密の言葉」だというのです。
秘密には、傷(欠陥)や悪を隠す「隠密」と、宝を隠す「微密」とがあるが、もちろんこれは「微密」です。一般的に、わかりやすく言えば、「陀羅尼」とは「魂をこめた言葉」の究極と言えるのではないだろうか。
単に意味を伝えるだけでなく、そこに生命のエネルギーを注ぎこんである言葉です。ゆえに音律が大事になる。

遠藤: 詩のようなものでしょうか。

名誉会長: 詩も、広く言えばそうでしょう。事実日本では古来、「和歌は日本の陀羅尼なり」と言われて、歌道が即仏道と考えられた場合があった。西行なんか、そうでしょう。この「生命のエネルギーを注ぎこみ、結晶させた言葉」は、音律そのものが、ひとつの「力」をもつと考えられた。

須田: 日本では「言霊」の思想がありました。
<言葉には霊的な力がこもっており、言葉通りの状態を実現する力があるとする思想>

斉藤: 真実の言葉が、災いを払ったり、病気を治したりする力をもっているというのは、古代に広く世界で見られた考え方です。

遠藤: そういう考え方が、この陀羅尼品にもあるのではないでしょうか。「陀羅尼呪」を法華経の行者に贈ることによって、その人を守るというのですから。

名誉会長: そうでしょう。言霊の思想を、そのまま受けとるわけにはいかないし、釈尊は本来、呪文や占いを禁じた。そのうえで、「音韻」「音律」というものが、ある意味で、言葉の意味内容以上に、大きな力をもっている面があることは事実でしょう。
言葉には命がある。島崎藤村は「生命は力なり。力は声なり。声は言葉なり。新しき言葉はすなはち新しき生涯なり」と言った。生命の「力」は、何より「声」に現れる。だから、どういう声、どういう言葉を発するかで、心も変わり、体も変わり、命も変わる。
「声仏事を為す」です。「声悪事を為す」場合もある。良き言葉は、良き心と体をつくる。悪い言葉は、悪い心と体をつくる。

遠藤: 陀羅尼は、最高に命のこもった「真実の言葉」ですね。

名誉会長: 芸術の世界でも、「本物」と「偽物」は、まったく違う。本物には、何とも言えない気迫というか、訴えてくる力があるものです。それは名匠が作品にこめた「生命」の力です。
一方、「贋作」は、どんなに見事にできていても、そこに込められているのは、これで金もうけをしてやろうという思いです.どうしても、それがにじみ出てしまう。
言葉も、命をこめ、命を流しこんだ言葉は、名人の芸術のようなものです。

斉藤: 「陀羅尼」も、だから翻訳しなかったのですね。

名誉会長: 南無妙法蓮華経も翻訳しない。それは「仏の言葉」だからです。英語の国へ行って、意味がわからなくても「サンキュー」と言えば、通じる。それに似て、「仏の言葉」だから、三世十方の諸仏に、そのまま通じていきます。
大聖人は「題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし」(御書 p808)と仰せだ。
「音」です。大事なのは。たとえば「かきくけこ」というと、何か固い感じがする。固体の感じがする。「さしすせそ」というと、風が吹いているような気体のような感じがする。「なにぬねの」というと、ぬるぬるするような、ねばり気を感じる。「まみむめも」というと、しっとりと、うるおっているような感じがする。

斉藤: そう言えば、メニューインさん(今世紀を代表するヴアイオリニスト)が、先生との会談で、題目の音について「本当に口ずさみやすいし、心地よい音律です」と言われていましたね。

名誉会長: 世界一、音にうるさい人が、そう言うんだから(笑い)。

須田: 「南無妙法蓮華経の『NAM』という音に強い印象を受けます」とも言われていました。
「『M』とは命の源というか、『マザー(MOTHER)』の音、子供が一番、最初に覚える『マー(お母さん)、マー』という音に通じます。この『M』の音が重要な位置を占めている。そのうえ、意味深い『R』の音(蓮=れん)が、中央にある」と。

名誉会長: 「南無妙法蓮華経と“唱える”ことと、歌を“歌う”こととは、深く通じ合うのではないかと思います。『声を出す』ということ自体、人間の体に、良い影響を与えます」とも言われていた。

斉藤: アルゼンチン・フローレス大学のケルテース学長も「題目の効果の科学的実証」に興味をもたれていたそうです。〈99年1月に、名誉会長夫妻への名誉博士号・名誉教授称号贈呈のため来日〉
何でも、SGI(創価学会インタナショナル)のメンバ-の功徳あふれる姿を見て、関心をもち「仏法のことを知らない、また興味を持っていない人たちに、仏法のすごさ、題目のすごさを、わからせたい」と語っておられたそうです。

遠藤: 本当に、すごい時代になりましたね(笑い)。

須田: 「陀羅尼」について整理しますと(1)仏の教えを「憶持不忘」する力(聞持陀羅尼)(2)生命に刻んだ教えを自分と人のために繰り返すこと(旃陀羅尼)(3)仏の教えを正しく持っている人を守る短い言葉(陀羅尼呪) —- になるで しょうか。このほかにも、いろいろありますが。

遠藤: 陀羅尼品では(3)の使い方ですね。その根源、実体は妙法です。