投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月 7日(土)11時52分49秒   通報
■ 御聖訓「天下第一の法華経の奉公」

名誉会長: 「法自ら弘まらず」(御書 p856)です。弘法の「人」がなければ、仏法は死滅してしまう。

遠藤: 大聖人が「天下第一の法華経の奉公なり」(御書 p324)と称えられたのも、大聖人をお守りした兄弟子たちに対してでした。

名誉会長: その通りだ。「天下第一の法華経の奉公」 —- つまり「これ以上の『法華経への貢献』はない」ということです。
それは、高僧を集めて、絢爛たる儀式をしたことでもなかった。多くの人々の前で、立派な説法をしたのでもなかった。当時の“法華経の総本山”ともいうべき比叡山に布施をしたことでもなかった。
大聖人が立宗の宣言をなされた時、権力者(地頭の東条景信)の襲撃から、大聖人をかばい、義浄房・浄顕房の二人が、ひそかに脱出の手伝いをした。このことを大聖人は「天下第一の奉公なり」と称えて、「必ず成仏しますよ」とまで言われたのです。
報恩抄の中でですから、事件の二十年以上あとです。大聖人は、その時もなお、二人への感謝を忘れず、ここまで温かく励ましておられる。ありがたい御本仏です。大聖人は他にも、自分を守護してくれた人に対して、「浄行菩薩が生まれ変わってこられたのでしょうか」「教主釈尊があなたの身に入りかわって、助けてくださったのでしょうか」等と、つねに感謝し、称えておられる。自分を守って当然だというような言い方はされていません。
「自分中心」であれば、人が支えてくれて当然という傲慢さが出てくる。しかし「法中心」であるゆえに、「法のために、ありがたいことだ」と感謝の心がわく。感謝と感謝で結ばれるのが、広宣流布の世界なのです。私も、一日に、何十回、いな何百回、「ありがとう」「ありがとう」と言っているか、わからない。

斉藤: そういう美しい気持ちをなくした人間が、学会にいられなくなってしまうんだと思います。

須田: しかし、自分が「清らかな世界から脱落した」とは認めたくない。そこで自分を正当化するために、学会のほうが悪いように言う。これが退転者・反逆者の心理でしょうか。

遠藤: しかし、こうして大聖人の御言葉を拝しますと、「諸天善神」と言っても、具体的な「人間」として現れていることが、よくわかります。諸天善神というと、何となく、目にみえない神秘的な力が働くようなイメージがありますが。

須田: 風の力とか、自然現象のようなイメージもありますね。

遠藤: それも当然あるでしょうが、何より、身近な人間こそが、諸天善神の働きをしてくれていると思います。
■ 広布の同志こそ最高に尊貴

名誉会長: その通りです。なかんずく、学会の同志こそが、最も大切にし、感謝すべき諸天善神の働きをしてくださっていると言ってよい。
大聖人も門下に対して、そういう意味のことを言われています。
たとえば「法華経を行ぜん者をば諸天善神等或はをとことなり或は女となり形をかへさまぎまに供養してたすくべしと云う経文なり」(御書 p1445)、「十羅刹の人の身に入りかはりて思いよらせ給うか」(御書 p1414)。
<(長年の出家の弟子たちなども逃げてしまい、訪ねてこないのに、あなたが身延まで供養を届けられるのは)十羅刹女が人の身に入りかわって(大聖人に)思いを寄せられるのだろうか>
ほかにも、たくさんあります。今で言えば、広宣流布を支え、広宣流布の団体・創価学会を支えてくださっている方々が、諸天善神です。諸菩薩です。如来の使いです。それを忘れて、何か同志以外の人だけを大切にし、同志を軽んじるような風潮が起こったならば、本末転倒です。
学会員が大切なのです。学会員が最高に尊貴なのです。世間の地位が何ですか。財産が何ですか。
法華経に照らせば、広宣流布をしている学会員以上に尊貴な方々はないのです。
何度でも私は、このことを言っておきます。私の遺言と思ってもらいたい。学会の同志を真心から大切にして、仕えた分だけ、広宣流布は進むのです。その熱い心の「かがり火」を消してしまったなら、もはや官僚主義であり、広宣流布の炎は消えてしまう。

須田: 内部にも、増上慢の悪人はいると思いますが —- 。

名誉会長: だからこそ、真の同志と真の同志の連帯を、がっちりとつくって、創価学会を守っていただきたい。「戸田の命よりも大切な学会の組織」と言われた創価学会です。 ともあれ、御本尊を大事にする人は、御本尊から大事にされる。三世十万の諸仏・諸天から大事にされる。鏡に、自分の姿勢そのままが映るようなものです。
同じ意味で、妙法を広宣流布している人を大切に守れば、その人は、今度は御本尊から大切にされ、守られる。それが陀羅尼品で、釈尊が二聖・二天・善鬼に対し「善い哉善い哉(素晴らしい、素晴らしい)」(法華経 p646)と称えた心です。
学会を大事にする人は、御本尊から大事にされるのです。この一点さえ覚えておけば、人生は盤石です。