投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月 7日(土)09時21分43秒   通報
■ 仏法は「善と悪との大闘争」

名誉会長: こうして「陀羅尼品」では、二聖(薬王・勇施の二菩薩)・二天(毘沙門天・持国天)と鬼神が、守護を誓う。彼らは代表です。全宇宙の諸天・諸菩薩が同じ誓いを立てている。
いわば「法華経の行者」守護連盟です。それは、なぜか。なぜ必要なのか。それは広宣流布が「仏と魔との大闘争」だからです。
この娑婆世界は「第六天の魔王」の所領です。その“悪王”に対して、改革を求めて立ち上がった革命家が“仏”であり、“法華経の行者”です。当然、悪の大軍が弾圧しにやってくる。そのままにしておいては、永遠に夜明けはない。そこで、悪の連合軍にに対して、善の連合軍で守りますというのが、陀羅尼品なのです。
大聖人は仰せだ。「汝等は人をかたうどとせり・日蓮は日月・帝釈・梵王を・かたうどとせん」(御書 p1259)“汝らは人を味方にしている。我は天を味方にしている”と。
次元は違うが、私も、「天を相手に」生きているつもりです。
また大聖人は「諸天善神等は日蓮に力を合せ給う故に竜口までもかちぬ、其の外の大難をも脱れたり、今は魔王もこりてや候うらん」(御書 p843)とも言われている。

斉藤: すごい御境涯です。“今は魔王も、こりたことだろう” —- 。
たしかに、どんなに日本一国の権力をあげて、大聖人を亡きものにしようとしても、できなかった。不思議なことです。考えられないことです。大聖人は“天をかたうどとして”一人、決然と戦われたのですね。

名誉会長:  戸田先生が晩年、「創価学会は、よくぞ、ここまで来られた.諸天の加護なくしては考えられないことだ」と言われていた。
死力を尽くして広宣流布をした人間以外、この言葉はわからないでしょう。あの大阪事件にしても、全部・学会をつぶす作戦だったのです。
<昭和32年(1957年)、参議院の大阪地方区の補欠選挙において、買収と戸別訪問の教唆(そそのかし)というでっちあげの罪で、若き名誉会長(当時・参謀室長)が七月三日に入獄。奇しくも、その十二年前、日本の国家主義権力と戦った戸田第二代会長が出獄した日であった。>
学会があまりにも伸びたので、抑えるために、はじめから筋書きができていた。標的は私であり、戸田先生です。何でもいいから私をつかまえ、次は学会本部を手入れして、戸田先生に手出しをしようとしていた。
戸田先生は年配です。体力的に厳しいことは、私が一番わかっていた。もし、万が一、戸田先生が牢に入れられるようなことがあったら、命にかかわったでしょう。
先生は「大作を返せ! わしが棍棒をもって行く」「あと十五年、わしは牢に入るつもりだ」と言われていたが —- 。
絶対に、戸田先生に手出しをさせてはならないし、広宣流布の牙城に権力を土足で踏みこませるようなことは、断じて食い止めたかった。
私は、自分が矢面に立って、牢へ入りたいと祈った。戸田先生を私が盾となって護りたいと祈った。そうやって、牢へ入ったのです。

斉藤:  —- 「身がわり」ですね。

遠藤: 厳粛です。

名誉会長: 私は、創価学会の屋根になろうという決心できた。
屋根だから、炎熱も受ける。雨も嵐も受ける。雪も積もる。しかし、それで皆が守られるなら、それでいい。
しかし、そのために、幹部を甘やかしてしまったとしたら、これほど残念なことはない。私は、水の中の杭のようなものだ。
杭が厳然としていれば、民衆の船は杭にしっかりとつかまっていられる。嵐の日にも、安心だ。
しかし、そうやって、皆がほっとして、楽しく団欒している間にも、杭は、見えない、冷たい水の中で、一人、頑張っているのです。

斉藤:  —- これまで陀羅尼品を漠然と読んできたような気がします。
「我が頭の上に上るとも、法師(広布の実践者)を悩すこと莫れ」(法華経 p645)という十羅刹女たちの誓いも、自分が矢面に立って、自分は踏まれてもいいから、行者を護るという誓いでした。
これを単に、諸天の誓いとしてとらえていました。そうではなく、その決意で自分自身が戦っていきなさいと読むべきだと思います。

須田: 「人」を守れ、それが「法」を守ることになる —- と。