投稿者:まなこ 投稿日:2015年11月 5日(木)12時10分19秒   通報
名誉会長: アジア人初のノーベル経済学賞を受けた方です。幼少期はタゴールの学園のある町で生まれ、タゴールが名づけ親だという。

斉藤: セン教授は九歳の時に、ベンガルの大飢饉を体験しました。約三百万人が餓死。その体験から「貧しき人々を救う」ための経済学を志したといいます。「経済に倫理を」と主張されています。

名誉会長: 素晴らしいことです。
牧口先生の価値論も「美・利・善」というように、「利」を価値体系の中に、きちんと位置づけておられる。「善(公共の利益)」に背く「利」は「悪」であり、反価値であることを、はっきりさせている。
こういう「何のため」という価値観がなければ、経済活動も“金もうけのための金もうけ”“経済成長のための経済成長”というように、野放図に暴走してしまう危険がある。

遠藤: バブル経済が、まさに典型でした。

名誉会長: その意味で、価値論は「正義の経済学」を志向しているといってよい。

須田: 今、日本では“景気の回復”だけが論じられています。まるで景気が回復しさえすれば、すべて問題は解決するかのように。もちろん、それも極めて大事です。しかし社会の根底の価値観が変わらないままで、いまだに経済至上主義の夢を追っているとしたら、こんな不毛なことはありません。

斉藤: 「第二の敗戦」と言われるバブル崩壊から“何も学んでいない”ことになります。
■ 日蓮仏法は「誓願の仏法」

名誉会長: そういう「哲学なき非文化国家」日本を、心豊かなヒューマニズムの国に変えていくのが、広宣流布の運動です。
ともあれ、日蓮仏法であっても「広宣流布」への戦いを忘れれば、これまでの利己主義の宗教と同じになってしまう。

須田: 宗門がその典型です。

名誉会長: 広宣流布への不惜身命の「行動」があってこそ、わが小宇宙の生命が大宇宙と冥合し、祈りも叶うのです。と 大聖人は「法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず」(御書 p1352)と仰せだ。ならば、自分が法華経の「実践者」であるかどうかだけが問題になる。
日蓮仏法は「誓願の仏法」です。自分が自分の立場で、御本尊に「私は、これだけ広宣流布を進めます!断じて勝利します!」と誓願することです。その「誓願の祈り」が出発点です。
観音品には、観世音菩薩の由来について述べたなかに「弘誓の深きこと海の如し」(法華経 p632)とある。<広宣流布しようという誓いは海のように深い>
その結果、観音は「福聚の海無量なり」(法華経 p636)という大境涯を得たのです。<無量のの福が聚まった海のごとき境涯>
日蓮大聖人は、この経文について「依正福智共に無量なり所謂南無妙法蓮華経福智の二法なり」(御書 p792)と言われている。依正 —- 周囲の境涯も自分自身も、無量の「福徳」と「智慧」にあふれてくるのだと。
人間には「智者タイプ」の人と、「福者タイプ」の人がいる。それはそれで個性なのだが、智慧があっても福運がなければ、努力は実らず、幸福な人生は創れない。
福運があっても、智慧がなければ、多くの人に信頼されることは難しいし、多くの人々を救っていくこともできない。両方、兼ね備えた人生が最高です。
広宣流布という人間性の真髄の軌道を生ききるときに、そういう「無上道の人生」になっていくのです。ゆえに一歩も退かず、押して押して押しきっていくことだ。遠慮してはならない。
全幹部が一兵卒になって、コマネズミのように動いて動いて、獅子王のごとく語って語って、魂魄をとどめた広布勝利の歴史をつくっていくことだ。その分だけ、自分自身の三世永遠の旅路が黄金に輝いていくのです。