投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月31日(土)09時19分9秒   通報
■ 「油断」は「慢心」

名誉会長: ともかく“信心しているから大丈夫”“何とかなる”というのは油断です。慢心とも言える。“信心しているから、何とかするんだ。勝つんだ”“信心しているからこそ、用心して絶対に、無事故にするんだ” その自覚がなければ危険です。
たとえば女子部・婦人部は、夜遅く一人で歩いたりしてはならない。荒廃した世の中です。用心に用心を重ねて、なるべく早く帰宅する。どうしても遅くなる場合は、電話をしてに来てもらうとか、工夫してもらいたい。留守番をしている家族にも心配をかけてはならない。また男性も、女性の帰宅のことをよく考え、だれかが送るとか、こまかに配慮していただきたい。

斉藤: 諸天に守られるというのも、根本は「自分で自分を守る」ということです。
妙楽大師が「必ず心の固きに仮りて神の守り即ち強し」(御書 p1220)と言っているように、何ものも恐れない「固き心」が諸天を動かす。その獅子王の一念が諸天を働かせます。

須田: 観音品にも「是の菩薩は、能く無畏を以って衆生に施したもう」(法華経 p624)とあります。「無畏」「畏れなし」の勇気を与えると。

名誉会長: そうだ。諸天が、また観音が我々を守ってくれるのではない。
「何ものも恐れない」無畏の信心によって、自分で自分を守るのです。自分の生命の観音菩薩の力で守られるのです。それを引き出すのが信心です。唱題です。広宣流布への行動です。
戸田先生は、よく言われた。「御本尊様に、ご奉公もしないで、功徳だけを願うのは横着だ」と。
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観世音菩薩普門品から
仮使害の意を興して 大いなる火坑に落とさんに 彼の観音の力を念ぜば 火坑変じて池とならん 或は巨海に漂流して 龍魚諸鬼の難あらんに 彼の観音の力を念ぜば 波浪も没すること能わじ 或は須弥の峰に在って 人の為に推し堕されんに 彼の観音の力を念ぜば 日のごとくにして虚空に住せん 或は悪人に逐われて 金剛山より堕落せんに 彼の観音の力を念ぜば 一毛をも損ずること能わじ 或は怨賊の繞んで 各刀を執って害を加うるに値わんに 彼の観音の力を念ぜば 咸く即ち慈心を起さん 或は王難の苦に遭いて 刑せらるるに臨んで寿終らんと欲せんに 彼の観音の力を念ぜば 刀尋いで段段に壊れなん 或は枷鎖に囚禁せられて 手足にチュウ(木偏に刃、その下に一)械を被らんに 彼の観音の力を念ぜば 釈然として解脱することを得ん 呪詛諸の毒薬に 身を害せんと欲られん者 彼の観音の力を念ぜば 還って本人に著きなん(法華経 p633)

たとえ、危害を加えようとする心を起こす者がいて、大きな火の坑に突き落とそうとしても、かの観音の力を念ずれば、火の坑は変じて池となるだろう。
あるいは、大海原を漂流して龍や魚、あるいは諸の鬼神に襲われるような難があったとしても、かの観音の力を念ずれば、大きな波浪でも沈没することはない。
あるいは、(この世界の頂点である)須弥山の峯にいて人に突き落とされたとしても、かの観音の力を念ずれば、太陽のように虚空に止まって落ちないでいることができる。
あるいは悪人に追われて(この世界のはてにあって世界を取り巻くという金剛山(鉄囲山)から落ちてしまったとしても、かの観音の力を念ずれば、毛筋一本すら損なうこともない。
あるいは、怨賊に囲まれ、それぞれが刀を執って害を加えようとする危難に値ったとしても、かの観音の力を念ずれば、その賊は皆ことごとく即座に慈悲の心を起こすであろう。
あるいは権力者からの迫害の苦しみに遭って、処刑される事態に臨んで、命が終ろうとしたとしても、かの観音の力を念ずれば、刀が急に段段に壊れてしまうだろう。
あるいは首かせをはめられ鎖で縛られても、手足に手かせ・足かせをはめられたとしても、かの観音の力を念ずれば、(首かせなどが)ぱっと消えて、自由な身になるだろう。 呪いや諸の毒薬で身を害そうとする者がいたとしても、かの観音の力を念ずれば、かえって加害者本人にその危害が及ぶであろう。
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名誉会長: 一心に広布を願って、戦っていく人は、生命に「無事安穏」への防波堤が築かれていく。学会活動には絶対に無駄はない。後になって、それがわかる。死ぬ時にわかる。それが日蓮仏法です。

須田: 観音品では、次に「悪鬼が害を加えようとしても加えられない」(鬼難)と説きます。 また「罪があるにせよ、ないにせよ、足かせで縛られたり、鎖でつながれるときに、これらから解放される」(伽鎖難)と。
そして「商人の行列が、宝物を持って危険な路を通過しようとしたときも、宝をねらう盗賊から逃れられる」(怨賊難)と説きます。

斉藤: 偈文のほうには、他にもいろいろの功徳が記されています。
「高い山から突き落とされても、助かる」とか、「呪いをかけられたり、毒薬で危害を加えられそうになったとき、かえって相手がその苦しみを得ることになる」ともあります。

遠藤: 有名な「還著於本人(還って本人に著きなん)」の原理ですね。