投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月30日(金)12時24分30秒   通報
■ 優しさが胸に明かりを灯す

遠藤: 魅力は、やはり「優しさ」でしょうか。

須田: 顔も実に優しいですね。

名誉会長: 優しさほど、強い力はない。優しさほど、人の心を征服するものはない。優しさほど、強く、明るく、永遠性の光はない。人の胸に明かりを灯す光明です。希望の光を与える。
真の「ソフト・パワー」です。

須田: たしかに、そうです。(ハード・パワーのように)力ずくで人を引き寄せるのではありません。

名誉会長: 「ソフト」は慈愛、「パワー」は力。慈愛の力です。文化も平和も教育も、その根底は慈愛です。人間への厳しさです。
「ソフト」は「限りない優しさ」であり、それが「限りない強さ」のパワーを生むのです。
また「優しさ」の真には「強さ」がある。強くなければ、人に優しくなんかできない。
観音菩薩の優美の裏には、妙法を求めに求め、不惜身命で弘めていく「勇猛心」がある。

斉藤: 大聖人は「観音法華・眼目異名」という天台宗言葉を挙げておられます(「御義口伝」御書 p776など)。
観音と法華は名前は違っているが、その眼目は同じであり、妙法そのものであるということです。

名誉会長: じつは、観音菩薩とは、寿量品で示された久遠の本仏の生命の一分です。宇宙と一体の本仏の「限りない慈愛」を象徴的に表したのが観音です。だから久遠の本仏を離れては、観音菩薩の生命はない。魂のない抜けがらのようなものです。

遠藤: 妙法を信受しないで、観音を拝んでも本末転倒であるということですね。

名誉会長: 久遠の本仏の生命 —- 御本尊のなかに、観音菩薩も含まれている。
御本尊の —- 妙法の功力の、ごく一分が観音菩薩の働きなのです。
古来、観音品ほど多く論じられてきた品もない。「観音経」として独立して信仰されてきた歴史もある。今なお、各地で「観音菩薩像」が次々に、建立されている。また日本では特に人気のある「般若心経」も、観音が説法する経典てす。
しかし、その割には、「観音」の力の源を多くの人が誤解している。その「力の源」とは「妙法」です。妙法を釈尊滅後に弘めていきなさいというのが法華経の「流通分」であり、観音品もその一つです。
観音品は、あらゆる仏典の中で、観音菩薩が登場した一番古い経典です。ここで、ちゃんと位置づけられている。観音菩薩も妙法 —- 寿量文底の南無妙法蓮華経 —- によって、人を救う「力」を得ているのです。

遠藤: 根源の「妙法」を離れて、「観音」を拝んでも、意味がない。かえって観音の願いに背いてしまうということですね。