投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月30日(金)06時57分15秒   通報
§観世音菩薩普門品§(上)
指導者よ、「民衆の声」を聞け!!
■ 「世音を観ずる」慈愛と智慧を

池田名誉会長: 人の心を一番深くとらえるものは何だろうか、さまぎまに言えるだろうが、やはり「慈愛」であり「優しさ」ではないだろうか。
「あの人は、自分のことを、本気になって心配してくれた」
「わがことのように祈ってくれた!」「大事にしてくれた!」「目に涙して叱ってくれた」「優しかった」
その思い出は、生命に刻みつけられて離れない。指導者の根本条件も「慈愛」です。これしかない。大事に大事に、皆を守っていくことだ。
私は「観音品(第二十五章)」というと、この「慈愛の指導者」を思い浮かべる。

斉藤教学部長: はい。観音の姿も、慈母のような優しさに、あふれています。
■ 一生を支えた母の一言

遠藤: 「悲母観音」というのもありますね。

名誉会長: お母さんは、だれにだって懐かしい。
昔、ある壮年からこんな話を聞いた。
小さい時、父は毎日、酒ばかり飲んでいた。「兄弟は多いし、貧乏も貧乏。乞食のような暮らしでした」と。
お母さんが細々と働いて、父の酒代まで工面していた。父は、母や子どもをよく殴った。酒を買いにやらされるのは、いつも男の子。ある寒い日の夕方、一升ビンに酒を入れてもらって、七、八歳の少年は日の暮れた道を一人たどっていた。
父親のことは大きらいだったが、「母ちゃんの苦労が、しみこんだ酒だ」と思って、大事に抱えて歩いた。しかし、ビンは重いし、だんだん手がかじかんできた。もう少しで家に着く。明かりが見えた。ほっとしたのでしよう。しびれた手から、するっと、酒ビンが落ちてしまった。ガチヤンー!ビンは割れて、酒はみるみる流れていく。「しまった! どうしよう」。
少年は泣きながら、玄関まで着いたが、家に入れない。中では父親が「酒はまだか!」と、どなっている。その時、少年の声を聞きつけたのか、お母さんが血相を変えて、表に出てきた。
少年は「怒られる!」と思って、びくっと一歩下がった。
ところが、お母さんは、少年を見るなり、抱きしめて、「足に当たらんかったか。けがはなかったか。お前に、けががなかったんなら、なんも泣かんでええんよ」と、背中をさすってくれたのです。その温かい一言が、その後も苦しいことがあるたびに自分の一生を支えてくれたと振り返っておられた。
「あのとき、叱られていたら、心がねじけてしまっていたかもしれません」と。
自分のことを無条件に愛し、大事にしてくれた人がいる —- その自覚が人間に「生きる力」を与えてくれるのではないだろうか。

遠藤: そう思います。観音菩薩が、どうしてこんなに人気があるのか。その秘密も、母のような慈愛にあると思います。

須田: 創価学会も、ある意味で、親もおよばないほどの優しさで、一人一人を大切にしてきました。どんな悩みにも寄りそって、親身に、一緒にになって励ましてきました。

遠藤: その実例は、文字通り「無数」にあります。

斉藤: だから強いんですね。

名誉会長: 組織の機構上のつながりではないから強い。人間と人間の心のつながりだから強い。観音 —- 観世音菩薩。観世音とは「世音を観ずる」という意味です。世の中の、ありとあらゆる音声を、悩みの声を、大きな慈愛で受けとめ、抱きとって、その声に応えてあげる。一人一人の切実な思いを「聞いてあげる」「わかってあげる」「駆けつけてあげる」。その「限りない優しさ」が、観音菩薩ではないだろうか。そこに慕われる秘密もある。

斉藤: たしかに、法華経を知らなくても、観音菩薩を知らない人はいない —- それくらい有名です。

須田: インドで、中国で、朝鮮半島で、日本で、アジア全域で、観音菩薩くらい人気のある存在もありません。祀られている数も圧倒的に多いのではないでしょうか。人々はつねに、思い思いの自分の願いを観音菩薩に訴えてきました。

遠藤: 「いつでも、どこでも、あらゆる危難から救ってくれる」とされていますから。
須田: “観音さま”は、いわば仏教界の“スーパースター”ですね(笑い)。

斉藤: いや、中国では道教の神さまとして信仰されているくらいです。宗教の枠さえ超えて、人々を引きつける「魅力」が、観音菩薩にはあるようです。