投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月29日(木)12時58分30秒   通報
■ 社会に希望を贈る「妙音運動」

斉藤: 音楽の力 —- それは宇宙のハーモニーを、わが生命に共鳴させるということだと思います。自分の生命も「調和」がとれていきます。

名誉会長: 音楽は、心を開放します。心の「こり」を、ときほぐしてくれる。
「演奏する」ことを英語で「プレイ(Play)」という。「遊ぶ」という言葉と同じです。伸び伸びと、心を開放するのです。<ドイツ語の「Spielen(シュピーレン)」、フランス語の「jouer(ジユエ)」も同じく両方の意味をもつ>
日本語でも「管弦に遊ぶ」といった。いい意味での「遊戯」です。自在の心です。

須田: 妙音菩薩の体得した三昧の一つに「神通遊戯三昧」ありました。

遠藤: 音楽療法なんかも、心の「こり」を取る効果を、狙ったものでしょうね。

名誉会長: 伸び伸びと、自分を開放する。だから、歌声があるところは伸びていくのです。戸田先生は「民族の興隆には、必ず歌があった」と言われた。創価学会も「学会歌」が元気に歌われているかぎりは、発展は続きます。
社会も同じです。人々が、美しい曲を口ずさむような社会であれば、向上への鼓動があると言ってよいでしよう。「哀音」に引きずられるような社会は、前途も暗いのではないだろうか。

遠藤: そう言えば、関東大東災の直後でしたか、“今度のような大天災に見舞われたのは、人心の荒廃や慢心と、どこか関係があるのではないか”と論じた作家がいました。

名誉会長: 幸田露伴の随筆だね。(随筆「震は亨る」)

遠藤: たとえば、震災の前、“おれは河原の枯れすすき 同じお前も枯れすすき”(作詞・野口雨情)という歌が大流行した。何か、いやな感じがしたと書いていたと思います。

須田: 一種の「哀音」でしょうね。

名誉会長: もちろん科学的に立証されたわけではないし、軽々に、すべての例に当てはめるのも、おかしいでしよう。ただ、目に見えない底流の部分で、「時代の動向」と「文化・音楽」は、互いに影響を及ぼし合っているのではないだろうか。
「歌は世につれ、世は歌につれ」です。

須田: 具体的には、「哀音」と「妙音」の戦いでしょうか。