投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月29日(木)06時37分20秒   通報
斉藤: この地から、法華経の最大の名訳者・鳩摩羅什が出たのは不思議ですね。

名誉会長: 羅什も、音感に優れた人だったかもしれない。そうでなければ、あの名文のリズムは生まれなかったでしょう。法華経には、出てくる楽器も多いね。

遠藤: はい。まず管楽器に入るものとしては、「角」は角笛です。「貝」「螺」はホラ貝です。「簫」は縦笛の一種で、音量は小さく、音色は穏やか。「笛」は横笛で、音色は柔らかといいます。

名誉会長: 弦楽器は?「琵琶」は有名だね。

遠藤: はい。そのほか「琴」は柱のない琴で、指や、爪をはめて弾きました。「瑟」は糸が多い大型の琴です。

斉藤: 今でも「琴瑟相和す」などと言いますね。〈夫婦仲がよいこと〉

遠藤: 「箜篌」はハープの一種です。

須田: あと、打楽器としては「鐃」「銅バツ(跋の足偏が金偏)」があります。シンバルのようなものとされています。

名誉会長: 法華経は「音楽」に満ちている。法華経が栄えた中国・唐の時代の「楽譜」も、敦煌から発見されています。
もう千年以上前だし、何の楽譜なのかは、いろいろ、研究がある。一音一音の高さを表すだけでなく、リズムまでも示されているという。実際の演奏にチャレンジした人もいます。ともあれ、法華経には、宇宙の大音声がこめられている。宇宙の根源のリズムが、メロディーが、和音が、こめられている。
妙音菩薩の名前の由来の別の説に「雷鳴」を意味すると、あったでしょう。あれが面白いね。

斉藤: はい。梵語の「ガドガダ・スヴァラ」を先ほどは、どもる声の意味であると解釈しました。しかし、「ガドガダ」を、帝釈天の “戦いの先触れ太鼓の音”である「ガルガラ」が訛ったものではないかという説があります。

須田: 帝釈天は雷神でもありますから、この太鼓の音は、要するに「雷鳴」と考えられます。

名誉会長: 日本語でも、カミナリとは“神鳴り”の意味であるとか、“神の御なり(出現)”のことであるとか言うね。天の轟きです。宇宙が吼える声です。

遠藤: キューバでの出来事を思い出します。取材した記者に聞いたのですが。
ハバナ大学から池田博士への名誉文学博士号の授与式の日は、暑さを吹き飛ばすように、雨が降っていました。<96年6月25日>
雨は炎熱の大地を一気に冷やす勢いで、豪雨となり、式典の途中、ちょうど先生の記念講演の時には雷雨となった。すさまじい雷鳴。日本から行ったメンバーも内心、「ちょっと降りすぎだな」「どうなっちゃうのかな」と思っていたそうです(笑い)。
ところが先生は講演を、こう切り出された。
「雷鳴 —- なんと素晴らしき天の音楽でありましょう。『平和の勝利』への人類の大行進を、天が祝福してくれている『ドラムの響き』です。『大交響楽』です。また、何と素晴らしき雨でありましょう。苦難に負けてはならない、苦難の嵐の中を堂々と進めと、天が我らに教えてくれているようではありませんか!」
これで一気に聴衆の心をつかんでしまったと、うかがいました。

斉藤: 私たちなら、とっさには、ちょっと出てきませんね(笑い)。

名誉会長: 妙音菩薩が過去に仕えた仏の名も「雲雷音王仏」だった。
宇宙は「音声」です。万物が「声」を発している。惑星の動きから、原子・素粒子のミクロの世界まで、“音楽的法則”とも言うべきリズムに貫かれている。このことは陀羅尼品(第二十六章)で論じるこどにしよう。大事なところだから。
要は、その「宇宙の名曲」を、どれだけ自分のなかに入れられるかです。ロダンは「芸術とは自然が人間に映ったものです。肝腎な事は鏡をみがく事です」(『ロダンの言葉抄』高村光太郎訳、岩波書店)と言った。
自分という「楽器」を、見事に調律し、訓練して、「宇宙の妙音」を宿らせ、響かせ、轟かせるのです。その鍛錬が仏道修行ともいえる。
一般的にも、「音楽によって人格を陶冶しよう」としてきた歴史がある。古代ギリシャもそう。古代中国もそうです。
プラトンは音楽教育が決定的に大事だと考えていた。「リズムと調べ」によって、「気品ある人間」ができると考えた。
中国の孔子の「礼楽」も有名です。「楽(音楽)」を学ぶことによって、調和ある人格ができるとしたのです。
初期の仏教でも、歌舞音曲は遠ざけられたが、音楽に無縁だったわけではない。もともと経典そのものが音楽的に朗唱されたのです。それで初めて人々の心に浸透した。
初期の仏典では、釈尊が歌声(声を出すこと)の効用をこう説いたと伝える。「身体が疲れない」「憶うところを忘れない」「心が疲れない」「言葉が理解しやすい」など。