投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月28日(水)06時50分16秒   通報
須田: その蓮華は「黄金の茎」をもち、「銀の葉」をもち、おしべはダイヤモンド、「台(花托)」もルビーのような赤い宝石です。

遠藤: 釈尊が説法している場所のそばに、それらが現れました。

名誉会長: “精神の宝石”です。生命の“福徳の宝石”であり、“智慧の宝石”だ。これこそが三世永遠の宝石です。

斉藤: はい。どんなにダイヤを集めても死後まで持っていくことはできません。

須田: 霊鷲山の人びとは驚き、蓮華が出現したわけを文殊菩薩が代表して釈尊に聞きます。
釈尊が「この蓮華は妙音菩薩がやってくる瑞相である」と教えると、文殊菩薩が妙音に会いたがります。

斉藤: 会って、学びたいという求道心です。

須田: そこで多宝如来の“来たれ”という合図で、妙音八万四千の菩薩とともに、「七宝の台」に乗って、やってくるのです。

遠藤: 光り輝く宇宙船のイメージですね。

須田: やってくる時の絢爛たる姿は、先に見た通りです。

名誉会長: だれもが息を飲んだでしよう。そういう壮麗な姿と音楽で、妙音は「法華経の功徳は、こんなにも素晴らしいのですよ」と皆に示しているのです。
自分が獲得した「見えない境涯」を、だれにでも分かるように「目に見え」「耳で聞こえる」ように表現しているのです。表現です。表現がなければ、わからない。恋愛だって、黙っていたんじゃ、わからない(笑い)
信心で得た「境涯」やなんらかの「表現」によって、初めて人々のもとに光は届く。 「文化」は、その代表です。妙音菩薩は、「文化活動」の代表です。
“仏法を基調とした平和・文化・教育運動”というSGI(創価学会インタナショナル)の壮大な行進が、妙音菩薩の行進に象徴されていると言えるかもしれない。「天の曲」を燦爛と振りまきながらの行進です。

斉藤: 学会の「妙音菩薩」というと、鼓笛隊・音楽隊をはじめ、幅広い音楽活動を思い出します。民音の活動もそうですね。

名誉会長: 法華経の原理の通りに進んでいるのです。
宗教は大地です。大地だけで、花も木もなかったら、不毛です。反対に大地がなければ、根無し草の文化になってしまう。
また身体でいえば、宗教は骨です。文化は肉であり、皮膚であり、装いです。両方あいまって、「美」の価値が生れる。