投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月27日(火)19時20分3秒   通報
■ 文化は「境涯」の表現

須田: なぜ妙音菩薩が、娑婆世界にやってきたのか。あらましを見てみます。
釈尊が眉間から光を放って、東方を照らします。すると無限の仏国土の一つに「浄光荘厳」という世界があり、その国に「浄華宿王智如来」という仏がいます。この国に「妙音菩薩」は住んでいるわけです。

斉藤: 無量の諸仏に「親近」し、供養して、「法華三昧」をはじめ、もろもろの大三昧の境涯を得たとされています。

名誉会長: 仏に「親しみ、近づく」ことが大事です。私たちでいえば、たゆまず御本尊を拝することです。また別の次元から言えば、広宣流布を行じている「学会員」に親しみ、近づくことです。そうすることによって、自分自身が生命力を増し、境涯を広げていけるのです。学会員に会っていくことです。

遠藤: 三昧というのは「心を統一した境涯のことですね。
「解一切衆生語言三昧(一切衆生の語る言葉がわかる三昧」とか「慧炬三昧(智慧の松明を燃やす三昧)」とか、さまざまに説かれています。

名誉会長: あふれ出る「智慧」の境涯であり、「胸中の平和」の境涯です。何が起ころうとも揺るがない大磐石の境涯です。その「胸中の平和」から、人の心を揺さぶる「魂の名曲」が、ほとばしり出てくる。
平和といっても、何もしない安逸から生まれるのではない。反対です。コマが全速力で動いているから静止して見えるように、フル回転で修行する真剣さが、悠々たる大境涯を支えているのです。

須田: 釈尊の光が妙音菩薩を照らすと、妙音は浄華宿王智如来に申し出ます。「娑婆世界に行って、釈尊を礼拝し、親近し、供養し、さまぎまな菩薩がたにも、お目にかかりたい」と。
如来は答えます。「それはいいが、娑婆世界を軽んじてはいけないよ。そこは高低があって平らかでなく、泥や石や山が多く、よごれている。仏の身も、菩薩の身も小さいし、見劣りがする」。

遠藤: たしかに、あの巨大さに比べたら、比較になりません(笑い)。

斉藤: かの国の如来は、妙音菩薩よりも、もっと大きいとされていますからね。

名誉会長: それでも「娑婆世界の仏と菩薩を尊敬しなさい!」と。
「一番大変なところで法を説き、法を弘めている方々を絶対に軽んじてはならない!見かけで判断してはならない! 最高に尊敬していきなさい!」 —- 大事な教えです。
一番大変な国土で、泥まみれになって戦っている人が、一番尊いのです。自分が仏の力で功徳を受け、人に尊敬される身になったからといって、そういう“戦いの現場”を下に見たり、離れては大変な増上慢です。

須田: 妙音菩薩は「如来のカ」によって、少しも動くことなく、遠く離れた霊鷲山に美しい「蓮華」を八万四千本、出現させます。

遠藤: 神通力ですね。今でいうと「衛星中継」に似ています(笑い)。