投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月27日(火)13時03分25秒   通報
■ 妙音菩薩は“地球より大きい”

斉藤: たしかに法華経は、心に映像が浮かび、音楽が聞こえるような芸術性があります。

名誉会長: 「妙音菩薩品」(第二十四章)のテーマも、その代表だね。
法華経全体に「妙音」は鳴り響いている。 心をかき立てる音楽が鳴っている。
「音楽」は「音を楽しむ」と書く。「楽しい」天の曲が流れている。音楽だけでなく、映像があり、照明があり、色彩があり、香りもある。大地が震動し、天から花も降る。スペクタクル(壮大なショー)でもあり、人間ドラマでもあり、スペース・オペラ(宇宙を舞台にした活劇)のようでもある。
哲学がある。体験談がある。悪人との戦いもあれば、民衆の行進もある。踊りもある。 芸術家ならずとも、大いなる創造力を刺激されるでしょう。
法華経そのものが「美の価値」を体現しているのです。その「美」の根源は何か。ありとあらゆる優れた「文化」のふるさとは何か。それは人間生命の躍動です。
つらくとも、苦しくとも、「何くそ!」と耐えて耐えて、最後には勝利する —- 「冬は必ず春となる」という宇宙本然のリズムを、生命力を、くみ上げ、わき立たせていく戦いです。
あらゆる一流の芸術の底には、この「生への希望」が脈打っているのではないだろうか。たとえ表面的には、苦しみが描かれていようとも。
「希望」という大生命力に、「妙音菩薩品」の核心もあると私は思う。

斉藤: そういえば、妙音菩薩は、とてつもない巨大さで描かれています。前から不思議だったのですが、これも「宇宙の根源の大生命力」を全身にあふれさせているという表現かもしれません。

遠藤: 身長は「四万二千由旬」とあります。〈梵本では四百二十万由旬とある〉
虚空会の宝塔が「高さ五百由旬」ですから、あの巨大な宝塔の八十四倍もあることになります。

須田: 一由旬は「帝王が一日に行軍する距離」です。諸説ありますが、少なめに見て、約七・三キロという計算があります。
そうすると宝塔は、地球の直径(約一万三千キロ)の四分の一以上という巨大さ(三千六百五十キロ)になります。

斉藤: その八十四倍ですから(笑い)。

遠藤: ええっと —- 地球の二十四倍ぐらいの大きさになりますね。<梵本の説だと、地球の二千四百倍、太陽の二十二倍ほどになる>

須田: そんな菩薩が、地球にやってきたのですから大変です(笑い)。

名誉会長: そう。別名「妙音菩薩来往品」ともいうように、これは「妙音菩薩が娑婆世界にやってきて、また帰った」物語です。
妙音菩薩は大きさだけでなく、「顔も端正で、百千万の月を合わせたよりも美しい」と説かれている。
体は金色に輝き、「無量百千の功徳」と「威徳」があふれている。そして娑婆世界にやつてくる時、通り路の国は震動し、「七宝の蓮華」を雨と降らし、「百千の天樂(天の音楽)」が鳴り響きます。

遠藤: 華やかなパレードのようですね。
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妙音菩薩品から
若し応に声聞の形を以って得度すべき者には、声聞の形を現じて為に法を説き、応に辟支仏の形を以って得度すべき者には、辟支仏の形を現じて為に法を説き、応に菩薩の形を以って得度すべき者には、菩薩の形を現じて為に法を説き、応に仏の形を以って得度すべき者には、即ち仏の形を現じて為に法を説く。是の如く種種に、応に度すべき所の者に随って、為に形を現ず。乃至応に、滅度を以って得度すべき者には、滅度を示現す。(法華経 p619)

(妙音菩薩は)もし声聞の姿形でもって救済できる者に対しては、声聞の姿形を現し、あるいはまた縁覚の姿形でもって救済できる者に対しては、縁覚の姿形を現し、あるいはまた菩薩の姿形でもって救済できる者に対しては、菩薩の姿形を現し、あるいはまた仏の姿形でもって救済できる者に対しては、仏の姿形を現して、法を説くのである。このようにして、それぞれ救済すべき相手に随って、その相手のために姿形を現す。さらに、入滅することによって救済できる者に対しては、入滅の姿を示し現すのである。
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名誉会長: 華麗なる「光と音の菩薩です。この壮麗な姿を娑婆世界の人々に「見せる」こと自体が、妙音がやってくる目的の一つなのです。

斉藤: 先ほど、法華経の経文は「大字宙の根源で『渦』を巻き、『波』をうっている大生命力のリズムを写しとった」ものと言われましたが、妙音はまさに、この「大生命力のリズム」を象徴しているように思います。

名誉会長: 宇宙全体が「妙音」を奏でているのです。
大宇宙そのものが「生命の交響曲」であり、森羅万象が歌う「合唱曲」であり、セレナーデ(小夜曲)であり、ノクターン(夜想曲)であり、バラード(物語風の歌謡)であり、オペラであり、組曲であり、ありとあらゆる「妙音」を奏で、「名曲」を奏でている。その根源が「妙法」です。「南無妙法蓮華経」です。
だから本当は、勤行も、朝は胸中に太陽が昇る「目覚めの歌」であり、夜は胸中を月光で照らす「夜想曲」であり「月光の曲」なのです。
経文を読むのは「詩」を朗読していることに通じるし、唱題は最高の「名曲」とも言える。最高に文化的な行動なのです。