投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月25日(日)17時34分58秒   通報
■ “牧口先生の殉教は薬王の供養”

名誉会長: 激烈な「報恩」と「殉教」の姿です。後世、薬王品の影響は大きく、中国でも日本でも、臂を焼いたり、わが身を焼いて焼身供養する人間も現れた。
今、そんなことは必要ありません。この火は「智慧」の火です。智慧の火で煩悩の身を焼いて、仏界の光を出すということです。そして最高の智慧とは信心であり、唱題です。また御本尊に「香」と「灯明」を捧げることによって、その信心で全宇宙を照らすことができるのです。
薬王品が教えているのは、要するに「正法のために身を捧げる」信心です。
薬王品というと、戸田先生がいつも牧口先生の殉教を「薬王の供養」と言われていたことを思い出す。
〈「かかる高徳の人が、どうして牢屋で獄死せられたのでしょうか。もし先生が法華経の行者でなかったら、この運命はありえないのです。されば、先生は、法華経のために身命をなげうったお方である、法華経に命を捧げた、ご難の見本である。先生の死こそ、薬王菩薩の供養でなくて、なんの供養でありましょう。先生こそ、仏に『諸の施の中に於いて、最尊最上』の供養をささげた善男子なり、とおほめにあずかるべき資格者である。
愚人にほめらるるは智者の恥ずるところと大聖人のおことばを、つねに引用せられた先生は、ついに最上の大智者にこそほめられたのである。また薬王菩薩本事品に、『命終の後に、復日月浄明徳仏の国の中に生じて、浄徳王の家に於いて、結珈趺坐して忽然に化生』(法華経 p593)と。
法華経は一切現象界の鏡と、日蓮大聖人はおおせあそばされている。大聖人は妄語の人にあらず、実語のお方である。ゆえに凡下の身、ただ大聖人のおことばを信じて、この鏡に照らしてみるならば、先生は法華経流布の国のなかの、もっとも徳清らかな王家に、王子として再誕せらるべきこと、堅く信じられるべきで、先生の死後の幸福は、吾人に何千、何万倍のことか、ただただ、おしあわせをことほぐばかりである」〉
牧口先生のことになったら、いつでも“真剣”を抜く戸田先生であった。師匠を偲び、師匠を称え、師匠を思う心にあふれておられた。疲れが出た晩年には、「先生がいないと寂しい。牧口先生のもとに還りたい」と、よく言われた。
ただただ広宣流布のために、命を延ばし、生き抜いている戸田先生であった。二年間の獄中生活で体は、ぼろぼろだったのです。ある時は、ぐったりと横になって思索しておられた。背中をさすっている私に一言、鋭く言われた。
「幾百年かかっても、広宣流布は絶対にせねばならない。革命には、弾圧も、非難もつきものだ。なにがあっても恐れるな。命をかければ、なにも怖いものはなくなるのだ」
命をふりしぼるような遺言だった。まさに戸田先生も「薬王の供養」であった。全生命を燃やして、ひとり正法の法灯を守り、輝かせておられた。
■ “魔につけ入らせるな!”

斉藤: 薬王品には、有名な広宣流布の依文があります。
「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して、断絶して、悪魔、魔民、諸天、龍、夜叉、鳩槃荼等に、其の便を得せしむること無かれ」(法華経 p605)〈龍、夜叉、鳩槃荼は、どれも悪鬼神〉
魔に、つけ入る「すき」を与えるな!。という遺言です。世界広宣流布を「断絶」させてはならない。師から弟子へ、世代から世代へ、我が身を灯台として燃やしていく「死身弘法」のリレーを続けていきなさいということだと思います。

遠藤: この通りに、迹化の菩薩も頑張ったわけです。
日蓮大聖人は、天台大師を薬王の再誕とされています。「薬王菩薩は像法の主天台是なり」(御書 p857)など、何回も御書で繰り返されています。天台は像法時代に「広宣流布」の法灯を守り抜きました。

須田: 伝教大師は、天台大師が二百年後に日本に生まれた「後身」とされますから、天台も伝教も本地は薬王菩薩となります。

遠藤: 天台の仏法は、文底の妙法が広宣流布するための序分(先序)であったと大聖人は位置づけられています。〈御書p346、等〉
本化による広宣流布の時が来るまで、法華経を守るのが迹化の菩薩です。また、末法おいては、広宣流布に励む本化地涌の菩薩を敬い、守護する使命があるとされています。

名誉会長: 現実の「人」が守護する場合もあるし、見えない守護の働きの場合もある。いずれにしても「内薫外護」です。地涌の菩薩が妙法を内に行じて、仏界を薫発しているからこそ、外に守護の働きが現れる。
全部、自分の信心です。いかなる荒波があろうとも、「広宣流布のために、希望の道を開かせたまえ」と戦い抜いて、諸仏・諸天に守られないはずがない。薬王品では、妙法を弘める人の功徳を、こう説いている。「火も焼くこと能わず、水も漂すこと能わじ。汝が功徳は、千仏共に説きたもうとも尽さしむること能わじ。汝今已に能く諸の魔賊を破し、生死の軍を壊し、諸余の怨敵皆悉く催滅せり。善男子、百千の諸仏、神通力を以って、共に汝を守護したもう」(法華経 p604)。
すなわち、折伏をする人間の福徳は、苦悩の火に焼き滅ぼされることはない。不幸の荒波に押し流されることも絶対にない。
千人の仏が総がかりで説いても、説きつくせない大功徳がある。あらゆる魔を打ち破り、生死の苦悩の軍勢を打ち破ったのだ。もろもろの怨敵を、ことごとくくだき、滅ぼしたのだ。百千の諸仏が神通力をもって汝を守護してくださるのだ —- 。
仏法は勝負です。仏と魔との戦いです。戦いである以上、勝たねばならない。勝ってこそ、幸福がある。勝ってこそ広宣流布がある。仏の別名は「勝者」というのです。
■ 薬王 —- 広宣流布の地ならしの働き

名誉会長: また別名を「医王」「大医王」という。「生死の苦しみの病」を治す名医ということです。その意味で、「薬王」という名前は、仏に近い高位の菩薩であることを示唆している。
「仏は医師、法は薬、修行者は看護人」とすれば、苦悩を癒す薬(法)の王という名前からして、菩薩の代表格と考えられる。

斉藤: たしかに法華経でも、迹化の菩薩の代表が薬王菩薩です。「序品」から登場し、「法師品」では対告衆の中心になっています。

遠藤: 法師品から迹門の流通分が始まり、対告衆も「声聞から菩薩へ」と変わる。そのしょっぱなから、薬王に呼びかけているわけです。

斉藤: 次の「宝塔品」で、釈尊が自分の滅後の弘教を呼びかけたあと、「勧持品」で悪世での妙法受持を誓った菩薩の代表も薬王です。いわば「滅後の弘教」の主役になるかと思われていた存在です。

須田: ところが、その後、地涌の菩薩が出現して、主役は地涌であるということになってしまった。

名誉会長: それで「あの薬王菩薩は、どうなるんだ?」という疑問が起こる。それに答えたのが薬王品だと言えるね。

斉藤: はい。本化の菩薩が登場するまで、広宣流布への地ならしをし、本化の菩薩を守りきっていくという使命があったわけです。