投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月25日(日)07時41分14秒   通報 編集済
■ 妙法証明へ多彩な行動

遠藤: 迹化の意義を、再往、もう一重、深く考えますと、先ほど言われた「七色の色彩」のように、仏界を根本とした多彩な舞台での活躍と考えられます。

斉藤: より「生活」「人生」に引きつけた、とらえ方ですね。

遠藤: たとえば薬王菩薩は「医学」の分野、妙音菩薩は音楽をはじめ「芸術」の分野、普賢菩薩は「学問」の分野 —- そういうスクリーンに「本化」が影を映した姿と言えます。いわば、私たち本化の菩薩の「社会面」の姿とも言えるのではないでしょうか。

名誉会長: そうなるでしょう。私どもは学会活動においては、本化の菩薩として妙法の広宣流布を進めている。しかし、それぞれ社会では仕事があり、役割・立場がある。家庭の主婦も、母として妻として、地域社会の一員としての役割がある。信心を根本にして、それぞれの舞台で「見事だ」「さすがだ」という活躍をしていかねばならない。それが「信心」「妙法」を証明することに通じる。
輝いている学会員の姿を通して、その胸中にある「太陽」を人々は感じていくのです。仕事、生活がいいかげんで、信心だけ立派— そんなことはありえない。インチキです。「法」を下げてしまう。
「本化」として自行化他に励んで開拓した「仏界」の生命力を、「迹化」としての社会面・生活面で生かしていく。生かし、活躍していこうと努力するなかで、さらに「信心」が深まり「仏界」が固まっていく。この往復作業です。本化→迹化、迹化→本化という、粘り強い往復作業によって、自分の生命を限りなく向上させ、広宣流布を限りなく広げていくのです。これが「後霊鷲山会」の六品の実践的な意義になるのではないだろうか。

須田: 迹化の菩薩というのが、ぐっと身近になりました。これまでは、随分、見下していたというか(笑い)、あまり自分たちとは関係ないと思いがちだったと思います。

名誉会長: そこで大事なのは「信心」です。社会で活躍すると言っても、「信心」を忘れてしまったら、本化の菩薩でもなければ、迹化の菩薩でもない。
名聞名利の餓鬼界、畜生界に堕ちていってしまうのが“落ち”でしょう。自分で自分の仏界を覆ってしまうのだから。最後は地獄界に転落してしまう。いな、信心を失えば、因果惧時で、その瞬間に地獄です。

斉藤: 迹化の姿が「多彩」な理由が、よくわかった気がします。妙音菩薩が「三十四身」、観音菩薩が「三十三身」と説かれるのも、ありとあらゆる姿を示して、人々を救い、妙法を証明し、広宣流布を推進していくということですね。

名誉会長: 華麗です。自在です。創価学会の「仏法を基調とした平和・文化・教育の推進」という根本軌道も、この「後霊鷲山会」の原理に淵源をもっている。法華経の軌道通りの前進なのです。