投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月20日(火)18時19分11秒   通報
斉藤: 仏教は「人類最初の伝道の宗教」です。それまでの宗教は、ごく限られた人に秘密の法を伝えるということはあっても、釈尊のように「自分の悟りを万人に弘める」ということはありませんでした。

名誉会長: 「握りこぶし」だね。

須田: 日顕宗も、何かと言うと、秘伝とか相伝とか言って、バラモンに似ていますね(笑い)。本来、「三大秘法」以上の「秘法」はありません。法主の相伝というのも、三大秘法への正しい信・行・学が中心にあるはずです。

遠藤: 「三大秘法を広宣流布せよ」というのが日蓮大聖人の御遺命ですから。
本来、法主が広布の先頭に立ち、三類の強敵からの迫害の矢面に立つべきです。
事実、日興上人、日目上人は、そうされたわけです。それもしないで、いな「広宣流布」を破壊に破壊しておいて、何の相伝か。秘法でなく、邪法でしかない。

斉藤: 「握りこぶし」も開いて見れば、中身は何にもありませんからね(笑い)。

遠藤: ただ、人をぶん殴ったり、「破壊」に役立つだけ(笑い)。

須田: そう言えば、インドには「握りこぶしでは、握手できない」という言葉がありましたね。「力」ではなく「対話」でなければ平和は生まれないという意味です。

名誉会長: 釈尊は、信頼する弟子には何も隠さなかった。
嘱累品でも、如来に「慳りん(もの惜しみ)」無し、とあったでしよう。

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「御義口伝」から
此の品には摩頂付属を説きて此の妙法を滅後に留め給うなり、是れ又妙法の付属なれば十界三千皆付属の菩薩なり、又三摩する事は能化所具の三観三身の御手を以て所化の頭上に明珠を譲り与えたる心なり、凡そ頂上の明珠は覚悟知見なり頂上の明殊とは南無妙法蓮華経是なり   (御書p800)

通解
この品(嘱累品)では摩頂付属(仏か無量の菩薩の頂を三度、摩でて、妙法の末法弘通を託した儀式)を説いて、この妙法を滅後のために遺された。これはまた妙法蓮華経の付属であるから、十界三千の衆生は皆、仏より弘教を付属された菩薩である。また三度摩でたことは、能化である仏が、三観三身の御手をもって、所化である菩薩の頂に明珠を譲り与えたことをあらわしている。およそ頂上の明珠は、仏界を悟り、知見することである。頂上の明珠とは南妙法蓮華経のことである。
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斉藤: はい。「如来は大慈悲有って、諸の慳りん無く、亦畏るる所無くして、能く衆生に、仏の智慧、如来の智慧、自然の智慧を与う。如来は是れ一切衆生の大施主なり」(法華経p586)とあります。

名誉会長: 大施主だ。気前がいいんだよ。けちんぼの仏さまなんかいないんです。
妙法は、言わば「打出の小槌」です。「如意宝殊(心のままに宝を得られる宝珠)」です。「宝の中の宝」です。それを全部、あげようというんだから、こんな気前のいい話はない。それなのに、いやがって、悪口言ったり、迫害するんだから —- 。

須田: 本当に悪世末法です(笑い)。

遠藤: そういえば、岩手に熊谷キヨミさんという方がいました。もう亡くなられましたが、一関の方です。
昭和三十年(一九五五年)に入会してから、生涯に百四十世帯近くの折伏をされた。
熊谷さんが、本気で折伏に励むようになった動機が面白いんです。胃かいようや心臓病で、医者から「あと三年の命」と言われた時に入信。半年ほどで、みるみるうちに健康になり、病床をたたんでしまった。彼女は、先輩に言ったそうです。「素晴らしい信心だ。もったいなくて人に聞かせられネエ」(笑い)。
「自分だけでやるんだ」と張りきって(笑い)いたところを、先輩から、さとされた。
「熊谷さん、なにを言うんですか。自分さえよければ、ほかの人はどうなってもいいんですか。そんな無慈悲な人は学会員じゃありません!」
そこで、びっくりして、「よし」と決意し、弘教ひとすじに頑張ったんだそうです。
御本尊への絶対の「大確信」と、面倒見のよさで、折伏した人は一人も退転していないし、たくさんのリーダーが出ています。一人、音信が途絶え、最後まで心配していたそうですが、それにしてもすごいことです。
子どもたちも立派に後を継ぎ、皆の折伏も合計すると五十世帯近くなります。
池田先生の前で記念表彰されたことを最高の誇りにして、大勢の人に見守られながら、安らかに亡くなりました。

名誉会長: 熊谷さんだね。有名です。本当によく頑張ってこられた。創価学会には、こうした庶民の「無冠の王者」がたくさんおられる。これほど偉大な世界はない。