投稿者:河内平野 投稿日:2015年10月 5日(月)14時49分8秒   通報

その時である。
一人の足の悪い老人が、アコーディオンを力いっぱい弾き始めた。
そして「パルチザンの歌」を声高らかに歌いだした。

「立て!祖国の民よ・・・・」
「立て!わが栄光の同志よ・・・・」。

歌は戦場に流れていく。
絶望の底に沈んでいた人々、死を覚悟していた人々が、一人また一人と顔を上げていった。

「だれが歌っているのだろう」「だれが弾いているのか」――。

やがて彼らは、砲火とどろくなか、体を起こし、歌に声を合わせた。

あの兵士も、この友も。
口から口へ、胸から胸へ、《人民の歌》《同志の歌》の輪が広がる。
それは、ついに、全員の大合唱となり、戦場に響きわたった。

人民軍の兵士たちは勢いづいた。反対に、ナチス軍はたじろいだ。

ここから、やがて戦局は一転。
人民軍は、負傷兵を一人残らず安全な場所に移し、奇跡の勝利を勝ち得た。
たった一人の歌声が、独裁者の魔軍に打ち勝ったのである。

世界的にも珍しい、ドラマティックな《人民の勝利》であった。

この戦いは、もう一つ、重要な教訓を残している。
じつは、人民解放軍の上層部には、一部にこんな意見をもつ者がいた。

「負傷兵を見捨てるのも、やむをえない。全軍のためだ。涙をのんで、元気な者だけで山中に逃げこもう」と。

しかし解放軍の兵士は、こぞってこの命令に反対した。
臆病なリーダーに対して怒った。

「戦友を捨てて逃げよとは何だ! そんな裏切りは断じてできない!」。

戦っているのは、兵士たちである。
苦しんでいるのは、最前線の兵士たちである。

上の者が無情な命令に従わせる権利もなければ、道理に合わない指令に従う義務もない。

それが人間の道である。

兵士たちはふた手に分かれ、同志の救出作戦に出た。
一方が敵を引きつける。その間に、もう一方が音もなく橋を修復し、負傷者を逃がした。

どちらも決死の行動であった。この連携プレーが成功した。

ナチス軍は、大部隊を投入しながら、《捕虜はゼロ》。大打撃であった。
この失敗がやがて命とりになり、結局、ナチスは敗北へと追いこまれた。

人民軍の兵士たちの「友情」が、ナチス軍の「弾圧」「侵略」、そして「傲慢」「卑劣」に、ついに打ち勝ったという歴史である。

【第一回静岡合唱友好祭 平成三年十月十三日(全集七十九巻)】