投稿者:河内平野 投稿日:2015年10月 5日(月)10時22分36秒   通報

また、戸田先生が本当の力量を出されると、他の幹部が《男の嫉妬》を起こすことも見抜いておられた。

戸田先生は、非難も覚悟のうえで、同志を一人たりとも落とすまいとして、あえて、こういう行動をされたのである。

そうした戸田先生の「真実」を、牧口先生だけはご存じであった。
だからこそ、あの厳格な牧口先生が、そうした振る舞いを、決して咎めようとはされなかったのである。

そして重要な問題は、ことごとく戸田先生に相談されていた。
これは、妙悟空すなわち戸田先生著の小説『人間革命』に記されている逸話である。

また、戦後、戸田先生の事業が暗礁に乗り上げた時のことである。
莫大な負債。会社は倒産。給料も、もらえない。人々も去っていった。

しかし、そのさなかで、先生は私に言われた。
「大作、大学をつくろう、創価大学をつくろうよ。いつごろつくろうか」と――。
他の人が聞いたら、何を《ほら話》をと思ったであろう。

苦境という「事実」はどうあれ、この悠然たる心に、先生の「真実」があった。
その壮大なる希望、闘争の一念、絶対の確信――私は知っていた。私は忘れない。

だが、その先生を、「ペテン師」「詐欺師」と非難する者は多かった。
一時の姿のみで、先生を悪人と決めつけたのである。
先生は、まったく弁解されなかった。

そうした人々とは、あまりにも次元が違っていた。

境涯が、人間としての格が違っていた。
そして「創価大学」は遺弟の私が実現し、年ごとに大発展している。
「事実」といっても、一断面のみ見れば、「真実」とまったく違った様相を呈する場合もある。

また、同じ「事実」を前にしても、そのとらえ方、見方は、人によって異なる。歪んだ鏡には、すべてが歪んで映る。

歪んだ心の人には、一切が歪んで見えてしまう。
物事を見極める眼力――それは、みずからの《境涯》で決まる。

「利己主義」「保身」「傲慢」「偽り」の人に、偉人の真実の生き方は見えない。
「謀略」の目には、「誠実」も「真心」も「無私の心」も映らない。

まして汚れなき信心の「心」、広宣流布への深き、深き一念を、理解できるはずもない。
ゆえに、いかなる戦いも、断じて勝つことである。
他人の境涯の低さを嘆いていても仕方がない。

まずみずからが、勝って、「正義」を明かすことである。

【第十三回関西総会、第五回兵庫県総会、常勝の花満開総会、県・区代表幹部会 平成三年十月十六日(全集七十九巻)】