投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月18日(日)21時11分56秒   通報
■ 「文底」が説かれて仏法は完結

斉藤: 前回、仏教の歴史を「仏因の探求」という観点から語っていただきましたが、その探求の究極が「寿量品の文底」にあるという結論になります。
ここまで至らないと、「生きとし生けるものを仏にしたい」という釈尊の願いも完結しません。

名誉会長: 寿量文底の「仏因」とは、言うまでもなく無始無終の妙法であり、南無妙法蓮華経です。
これは「仏因」であると同時に「仏果」です。「因果倶時・不思議の一法」です。これを寿量品の説法を聞いて覚知したのです。
寿量品を、虚空会上の“三十二相の、きらびやかな釈尊の話”と思ったら間違いです。その色相荘厳の仏を見上げているだけなら、所詮は“他人ごと”になってしまう。
そうではなく、五百塵点劫の説法で、どんどん過去にさかのぼっていったあげく、自分の究極の“原点”は、釈尊の“原点”と同じであったとわかったのです。
“虚空”を見上げていて、はっと“足もと”に気づいたのです。
これが「等覚一転名字妙覚」です。
<成仏の本因が南無妙法蓮華経如来であることを述べた文。等覚という最高位の菩薩でも、久遠元初の妙法を覚知して、「等覚」から一転して「名字即」という凡夫の位になり、そこから直ちに仏の位である「妙覚」になること>

須田: 一段一段、成仏を目指して階段を上った果てに、じつは「出発点」に戻った。自分を生み、支えている宇宙生命そのものを自覚したということになります。

遠藤: 「具騰本種」というのも同じ意味ですね。
<「具に本種を騰ぐ」と読む。妙楽大師の言葉。成仏の根本原因=本種は、寿量品の文底に蔵されており、この本種を覚知したがゆえに法華経の会座の衆生も、成仏したとする>

斉藤: その「本種」が「南無妙法蓮華経」である。それを目覚した。

名誉会長: 文上を聞いただけで文底がわかった。そういう機根の衆生は、それでいい。しかし、わからない機根の衆生は、どうするのか。これが「滅後の弘教を上行菩薩に託した」理由です。
上行菩薩という「菩薩仏」 —- すなわち「因果倶時・不思議の一法」を、その身に体現している人が、「因果倶時・不思議の一法」を弘めるのです。
仏法では必ず「説かれる法」と「説く人」が一致しているのです。

斉藤: 「法是れ久成の法なるを以ての故に久成の人に付す」ともあります。
<中国・唐時代の天台僧・道暹の「法華文句輔正記」の言葉。大聖人も観心本尊抄(御書p250)などで引用されている>

名誉会長: 日蓮大聖人は「本果妙の釈尊・本因妙の上行菩薩を召し出す事は一向に滅後末法利益の為なり」(「百六箇抄」、御書p864)と仰せです。
末法の機根の衆生には、まっすぐに、そのまま、成仏の「本因」を、久遠元初の妙法を説くのです。そのための如来神力品の付嘱です。ゆえに如来神力の「如来」の元意は、釈尊だけのことではなく「一切衆生」のことになる。
「神力」とは「生命の力」です。凡夫を代表とする「一切衆生」の本当の「生命の力」を示したのが如来神力品なのです。それを示すために、全宇宙的儀式の「十神力」が説かれた。

遠藤: 三十二相の「色相荘厳の仏」は、そのことに気づかせるための「仮の仏(権仏)」だということですね。