投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月16日(金)05時33分45秒   通報
■ 仏は衆生の「恋慕」に応じて出現

須田: 「ジャータカ」と言えば、インドに行ったとき、仏塔にも、そういう物語をもとにした彫刻やレリーフ(浮き彫り)が、たくさんありました。

名誉会長: その「仏塔(ストゥーパ)」も、「仏因の探求」と深い関係があるね。

遠藤: はい。釈尊の死後、在家者によって釈尊の遺体の火葬がなされます。「出家者は葬儀などしてはならない.そんなひまがあるなら自分の修行をしなさい」という遺言があったからです。遺骨(舎利)が分けられて、それを中心に「塔」が建てられました。その後、「仏塔」信仰は大きく広がっていきます。その経緯や実態は不明ですが、大乗仏教の興隆と密接な関係があったことは定説になっています。

斉藤: 「仏塔」を中心にした人々の信仰は何であったか。
確実なことは言えませんが、亡くなった釈尊を「心懐恋幕」(心に恋慕を懐き=寿量品)する思いが、そこに脈打っていたと思われます。

名誉会長: 寿量品には「其の(衆生の)心の恋慕するに因って、乃ち出でて為に法を説く」(因其心恋慕 乃出為説法)(法華経p507)とある。
「永遠の仏」が、衆生の「心懐恋慕」の一念に応じて、出現して法を説くというのです。
釈尊の滅後、人々は釈尊の「不死の本質」というか、入滅しても滅していない「真実の釈尊」を求めたのではないだろうか。それは「仏身論」にも表れているでしょう.

斉藤: はい.竜樹なども紹介しているように、はじめは、「生身」の釈尊と「法身」の仏との二身が立てられたようです。
八十歳で亡くなった肉身の釈迦仏を「生身」とします。一方、生身の釈尊を仏たらしめた悟りの境涯そのものは永遠であるとして、それを「法身の仏陀」と呼びました。

名誉会長: 「法身」の仏陀は、後に「法身(境)」と「報身(智)」の二身が説かれるようになり、法・報・応(応身)の三身説になっていく。しかし、「肉身の人間・釈尊」の奥底に「永遠の仏」を見ている点では同じです。

須田: 「仏塔」信仰も、肉身の釈尊を超えた「永遠の仏」を「一心欲見仏(一心に仏を見たてまつらんと欲して=寿量品)」(法華経p507)する人々の思いに支えられていたと思います。

遠藤: 法華経にも、「仏塔」信仰は大きく反映しています。
“諸仏の入滅後に人々が仏舎利を供養して成仏した”とか、“幼児が戯れに砂を集めて仏塔を作ってさえ、仏道を成ずる”とか、説かれています。(方便品)

斉藤: 多宝如来の「宝塔」が出現するというのも、「仏塔」の反映でしょうね。

遠藤: 多宝如来は「過去仏」です。釈尊は「現在の仏」、そして上行菩薩は「未来の仏」 —- こういう意味があるのかもしれません。

名誉会長: いずれにしても、三世にわたる「永遠性の仏」への思いが、仏の「塔」にこめられている。その実相は、じつは凡夫の生命そのものが「宝塔」なのです。妙法を持つ凡夫こそが宝塔であり、「永遠の仏」と一体になる。
「阿仏房さながら宝塔・宝塔さながら阿仏房」(御書p1304)です。

須田: こうして、たどってみますと、大乗仏教で、さまぎまな「永遠性の仏」を説くのは、必然性がありますね。
よく「亡くなった宗祖・釈尊を神格化したのが大乗仏教」だというような意見がありますが、そういう一面もあったかもしれませんが、それは本筋ではない。大乗仏教の原動力は、釈尊を仏にした「仏因」の探求であり、それが「永遠の仏」の探究となっていったのではないでしょうか。

名誉会長: 「永遠の仏」そのものが「仏因」だということです。「南無妙法蓮華経如来」から一切の諸仏は生まれたのです。もちろん、「仏因」であると同時に「仏果」なのだが。

斉藤: 先ほどの「生身」と「法身」の二身説でも、「法身から生身は生まれた」とされます。

名誉会長: こうも言えるでしょう。
仏法者は皆、自分が「ダンマ(正法=永遠の生命=如来)」に目覚めようと努力した。
ところが、目覚めたとたん、わかったのは、ほかならぬ自分が「ダンマ」から生まれた「如来の子(菩薩)」であったという事実なのです。少し難しい表現になるが。

遠藤: その転換は、もしかすると、「小乗」仏教から「大乗」仏教への転換という歴史の流れと重なっているかもしれませんね。「法」を探究の「対境」としていた小乗仏教(部派仏教)から、「菩薩(仏子)」の運動である大乗への変化です。