投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月15日(木)21時36分46秒   通報
須田: 釈尊はその「永遠の法」即「永遠の仏」を悟った。それを「理法(ダンマ、ダルマ)」とも呼び、「如来」とも呼びました。

斉藤: その「ダンマ」が、自分の生命のうえに顕現し、染み通り、自己と一体になる境地を味わった。それを「不死の境地」と呼んだのではないでしようか。
ここに「寿量品」の原型があると思います。

名誉会長: そうかもしれない。釈尊は、この境地を人々に伝えるために一生を捧げた。しかし、とうてい言葉に表すことはできなかった。相手の悩みに応じ、機根に応じて、さまざまに教えを説いたが、要は、この境地に目覚めさせようとしたわけです。
不老不死の大生命力を、聞かせようとした。そして一生をかけて人々を教育し、機根を整え、最後に「法華経」を説いた。その説法の内容は、当然、二十八品そのものとは違うでしょう。しかし、その「核」になるものは説いたに違いない。法華経を説かない仏は、仏ではないからです。

須田: その「核」とは、「永遠の妙法」即「永遠の本仏」という大生命の実在ですね。

名誉会長: その大生命が、凡夫である「人間」に顕現するという事実です。ここに、生きた法華経がある。この一点を、どう表現し、どう多くの人々に開いていくか。ここに全仏教史の歩みがあり、進歩があったと言ってよい。その観点から言えば、大乗仏教の出現は必然性があったと思う。
釈尊が入減する。遺言は何か。
「自らを島とし、自らを依り処として、他を依り処とするなかれ。
法を島とし、法を依り処として、他を依り処とするなかれ」
生死の苦悔の激流の中で、「自己」と「法」だけを依り処として、生き抜きなさいという遺言です。この「自己」を探究し、「法」を探究することが、釈尊滅後の仏教徒のつとめとなったのです。

須田: 人法で言えば、自己は「人」、法は「法」です。
二つの探求の究極が、人法一箇の「永遠の仏」即「永遠の法」だったのですね。

遠藤: 言いかえれば、こういうことでしようか。釈尊滅後の仏教史は、釈尊を「仏」たらしめた「仏因」の探究史であったと。もちろん理論的な探究というだけでなく、全人格、全生命をかけた「仏因」の探究です。

斉藤: それは「釈尊の師」とも言える「永遠の生命」そのものの探究ですね。

名誉会長: 「仏因の探究」は、釈尊の「前生譚(ジャータカ)」にも、まとめられたね。

須田: 釈尊が過去世でどんなに功徳を積んできたかという物語ですね。

遠藤: 菩薩として我が身を捨てて他者を救ったり、動物の王になったり、ものすごい数の話が生まれました。

名誉会長: 御書にも尸毘王(鳩を救うためにわが身の肉を鷹に与えた王)とか、忍辱仙人(歌梨王に手足を切られても怒らなかった仙人)とか、鹿野苑の鹿の王(鹿の仲間を救うために身がわりに食べられに行った鹿王)とか、薩タ(土+垂)王子(飢えた虎にわが身を布施した王子)、雪山童子(半偈のために鬼神に身を投げた求道者)、そのほかたくさんの「ジャータカ(前生譚)」が引かれている。

斉藤: 今昔物語なとでも有名です。

名誉会長: 「ジャータカ」というと、何か遠い「おとぎ話」のように思えるかもしれない。しかし、今、私たちの学会活動こそ「現代の菩薩行」であり、「菩薩の物語」をつづっているのです。
日蓮大聖人は、池上兄弟の団結の戦いについて「未来までのものがたりなに事か・これにすぎ候べき」(御書p1086)とたたえておられる。<未来までの物語として、これ以上のことがあるでしようか、いいえ、ありません」>
広宣流布への私たちの戦いも、後世、必ずや多くの人々が語りつぎ、たたえていく「物語」となっていくに違いない。

斉藤: 歴代会長の激闘こそ、末法万年尽未来際まの栄光の物語だと思います。

遠藤: 私たちが今、それに連なっていけることは今世の最高の栄誉です。