投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月14日(水)18時26分38秒   通報
須田: たしかに、大乗仏教は神変や奇跡の類が多く、想像力豊かです。

遠藤: SF(空想科学小説)みたいですね(笑い)。荒唐無稽とさえ思われる内容です。
それが、「大乗仏典は釈尊が説いた教え(仏説)でなく、後世の人間がつくったものである」という「大乗非仏説」の理由の一つになっていると思います。大乗仏教は歴史的に、釈尊の死後、何百年もたってから(紀元前後に)出現したことでもありますし。

名誉会長: 問題は、大乗仏典が「何を表情しようとしていたか」です。
法華経の虚空会にしても、大地を破っての地涌の菩薩の出現にしても、経文の「文」だけを見ていたのでは、まさに荒唐無稽でしょう。しかし、経文には「文」「義「意」がある。(「文」は経文の文面、「義」は経文の字義にしたがった意味、「意」は経文の元意)
経文の「意」すなわち「心」を知らなければいけない。

斉藤: 金庸さんは、はじめ、とまどったものの、「しかし『妙法蓮華経(法華経)』を読むにいたり、長い思索を繰り返した結果、ついにわかったのです。すなわち本来、大乗経典がいいたかったことはみな、この『妙法』だったということを」と言われています。

遠藤: 卓見ですね。すべての経典は、たしかに「妙法」の一点を志向しています。

名誉会長: 「妙法」という「生死不二」の大生命を志向している。「妙」は死、「法」は生。妙法で生死不二を表している。釈尊の説いた「不死の境地」というのも、この「永遠の大生命」を体得した境地ではないだろうか。

斉藤: 仏界ですね。

名誉会長: 仏界です。妙法に帰命することによって「不老不死」の仏界の大生命力がわくのです。

須田: 「不死の鼓を打つ」というのは、妙法の大音声を響かせていく、ともとれます。

遠藤: 金庸さんは言われています。「『妙法蓮華経』で仏陀は、火宅、牛車、大雨など多様で身近な比喩を使って、世の人々に仏法を説き明かしています。人々を導くためには、『方便』を使う場合もある。仏陀が毒に当たって死にかけているふりをする場面もあります。それも、仏法を人々に広めるためなのです」
「『妙法』。この二字の意味をわきまえるようになって、ようやく大乗経典を幻想で満たしている誇張にも反感をいだかなくなりました。大苦悩が大歓喜へと変わるのに、およそ二年の歳月がかかりました」

須田: 驚きです。「五重の相対」を、そのまま、たどっておられるような精神の遍歴ですね。
キリスト教から仏教へ入り、それも小乗教から大乗教へ、そして法華経へと進まれた。
(「五重の相対」は、仏法と仏法以外(内外相対)、大乗と小乗(大小相対)、法華経と法華経以外の大乗(権実相対)、法華経の本門と迹門(本迹相対)、日蓮大聖人の下種仏法と釈尊の脱益仏法(種脱相対)を比較相対して、正法を選びとっていく「宗教批判の原理」の一つ)

名誉会長: 金庸先生の「生と死」の探究が、どれほど真剣であったか、その証明と言えるでしよう。息子さんに導かれて、妙法に近づいていかれたのです。
今、学んでいる「神力品」でも、表そうとしている「元意」は「妙法」です。久遠以来、無始無終で活動している「永遠の大生命」を、伝えようとしているのです。