投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月14日(水)12時43分51秒   通報
■ 金庸博士の“妙法との出あい”

名誉会長: そうだね。「仏教とは何か」を考えるうえで参考になるでしよう。
ご自分の人生をかけた探究の結果、「真理は仏教のなかにあったのだ」と、わかったというのです。

斉藤: はい。金庸さんは、自分が仏の教えに帰依したのは「非常につらい、苦難に満ちた道程でした」と言われています。それは、ご長男が突然、自殺してしまったのです。ご長男はアメリカのコロンビア大学におられた。優秀な方だったようです。
金庸さんにとって、これほどの驚き、悲しみはありませんでした。

須田: 金庸さんは、そのとき何歳ですか

斉藤: 五十二歳です。

須田: すでに作家として、大きく成功しておられたころですね。ジャーナリストとしても。

名誉会長: 「私も息子のあとを追って自殺しょうかと思った」とも言われていた —- 。

斉藤: はい。そして「どうして自殺しなければならなかったのか? どうして突然、命を捨ててしまったのか?」という疑問にさいなまれ、それから一年間、「生と死」を探求するために、数えきれないほどの本を読んだそうです。
しかし、どうしても納得できない。キリスト教の教義についても、繰り返し思索したが、どうしてもなじめなかったと言われています。

名誉会長: そこで仏教の勉強を始められたのです。

斉藤: まず、いわゆる小乗仏教と呼はれている「阿含経」に取り組み、何カ月も寝食を忘れて研究し、思索された。
すると、あるとき、突然に、「真理は仏教のなかにあったのだ。必ずや、そうにちがいない」と、ひらめくものがあった。金庸さんは、英訳と漢訳の仏典を並べて読みながら、ついに「心の底から全身全霊で、仏法を受け入れた」のです。

遠藤: こう言われています。
「仏法は、心に巣くった大きな疑問を解決してくれました。『そうだったのか! ついにわかったぞ!』と、心は喜びで満ちあふれ、歓喜は尽きませんでした」と。

名誉会長: すごいことだね。
いわゆる「原始仏典」には、繰り返し、「不死」という言葉が使われている。
「不死に没入して(中略)平安の楽しみを享けてている」(『プッダのことば —- スツタニパーク』中村元訳、岩波文庫)、「不死の底に達した人」(同)   「不死の境地を見ないで百年生きるよりも、不死の境地を見て一日生きることのほうがすぐれている」(『プッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波文庫)
「不死の境地におもむく」(同)、「われは不死の鼓を打つであろう」(同)。 生死を越えた「永遠の生命」という幸福境涯を釈尊は教えようとしたのです。金庸先生は、その本質を、先生なりに、つかんだのではないだろうか。

斉藤: はい。金庸先生は次に大乗経典を研鑚します。「維摩経」「楞伽経」「般若経」などです。ところが、これらは、あまりにも神秘的で不可思議なことを誇張しであり、とても受け入れられなかったといいます。