投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月14日(水)06時43分1秒   通報
■ 「民衆」に基盤なき組織は滅びる

斉藤: 夕張の同志に、先生は言われました。
「民衆のための闘いだもの、かならず勝つに決まっています」
「炭労側は、今後もさまぎまな手段で、学会員を、いじめにかかつてくるだろう。だから、この際、夕張の学会員が二度と、いじめられないように、徹底して戦い、一気に事を決しておく必要があるのです」

須田: そして、あの歴史的な「札幌大会(七月一日)」「夕張大会(七月二日)」が開かれました。大会の模様を報じた地元紙には、こうありました。「この大会には子供連れの婦人、中学、高校生の姿の多いことが目立ち、人いきれでムッとする会場は演説の一くぎりごとに全員拍手をするなど他の会合ではみられぬ光景だった」。

斉藤: 今も同じですね(笑い)。

名誉会長: 「子供連れの婦人」 —- 世間から見れば、政治や労働組合といった問題から、いちばん遠い存在であったかもしれない。しかし、そうした名もなき庶民が、「特権者のエゴの政治」ではなく、「全民衆の幸福のための政治」を実現しようと立ち上がったのです。この健気なる同志を、私は絶対に泣き寝入りさせたくなかった。
力の恫喝が勝つか、正義の民衆が勝つか。炭労問題は、一地方の事件のように見えて、「民衆勝利」への重大な法戦だったのです。

遠藤: 「勝負」は歴然でした。「(学会の)夕張大会を傍聴させてほしい」と求めてきたのは、炭労側からです。しかし、いたたまれなくなったのか、大会の途中で、こそこそと逃げるように帰っていきました。
当時、支部幹事であった三戸部菊太郎さんは、こう宣言されています。
「池田先生からいただいた数々の指導のなかで思い出されるのは、炭労問題当時、ハイヤーに同乗させていただた時、『民衆次元に立っていない炭労は、かわいそうだ駄目になるよ。みんなは、この信心をしっかりやって、人生の基盤を固めていきなさい』と言われたことです。この言葉通り、昭和五十三年(一九七八年)十一月に夕張の炭労は解散大会を行い、三十二年の歴史を閉じたのです」

名誉会長: もちろん、炭労の人々だけが悪かったのではない。正しき民衆観、人間観を、だれからも教えてもらっていなかったのです。ある意味で、犠牲者です。

遠藤: 歴史を刻んだ夕張の同志の方々は、皆さん、大きく境涯を開いておられます。
大門勝代さんも「かな書道」の芸術家として、実証を示され、活躍中です。苦労させられた、ご主人のことも「最高の同志」と言い切っておられる。
亡くなった一男さんの“最後の言葉”に感動しました。
「先生、待ってください! 今すぐ行きます —- ほらっ、母さん、早く靴はいて」
うわごとのように、こう言われたそうです。「母さん」とは勝代さんのことです。
ご夫妻ともどもに、池田先生に続いて、どこまでも広宣流布へ戦おう! と。“学会活動が生きがい”という一男さんらしい、崇高な「三世の旅立ち」だと思いました。

須田: 炭労問題のことを、小説『人間革命』で読んだある識者は、語っています。
戦後の労働運動の拠り所となった思想も、話局は、真実の変革の力とはなりえない“保守反動的”なものにすぎなかった。
そのことを、日本で初めて、公衆の眼前で明らかにしたのが、この事件であったと。
そして「こうした法難に際して戸田を支えたのは名もなく貧しい『ただの人』であることが活写されている。『ただの人』にこそ仏性が存することを明示している。『地涌の菩薩』をこれほど分かりやすく説いたものは少ない」と。愛媛大学教授の村尾行一さんです。

名誉会長: 名もなく、貧しい「ただの人」 —- その人こそが最高に尊いのです。
広宣流布に進む「ただの人」こそが、「仏」なのです。じつは、これこそが「如来秘密」の「秘密」なのです。これを教えるために如来 —- 仏は出現したのです。

斉藤: 本当に、仏法こそが人間主義だと思います。
池田先生と香港の文豪・金庸博士との対談集『旭日の世紀を求めて』(潮出版社)を読みました。そのなかで、金庸さんが「なぜ仏教を信奉するようになったのか」について語っておられます。非常に印象的な、また深いお話でした。