投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月13日(火)12時19分33秒   通報
■ 名もなき庶民の「人権闘争」

遠藤: 夕張炭労問題(昭和三十二年=一九五七年)の時、池田先生、戸田先生のもとで戦つた大門さんご夫妻の体験をうかがいました。
奥さんは、現在、苫小牧にお住まいで、この秋、七十歳になられる大門勝代さんです。ご主人の一男さんは、三年前に亡くなられました。

名誉会長: 存じ上げています。先日も聖教新聞で紹介されていたね(九八年=平成十年六月三日付)。「炭労問題の四十周年(九七年=平成九年)」を記念して、札幌の通信員の方々が当時の貴重な記録や証言を、まとめて届けてくださつた。一緒に戦った夕張の同志のことは、永久に忘れることはできません。

遠藤: 当時の様子は、先生が小説『人間革命』(第十一巻)に詳しく書いてくださっています。「権力の魔性」に対する、名もなき庶民の「人権闘争」に感動します。
大門さん夫妻が入信したのは、一男さんの道楽ぶりに悩んだ勝代さんの両親の勧めでした。しかし、入信したものの、形だけで、何もしませんでした。夫の飲み代や借金のかたにとられ、家を二回も失っています。

須田: 並の道楽ぶりじゃないですね!

遠藤: 東京から大阪へ行ったものの、事業に失敗。一男さんは故郷の夕張に一人、帰ってしまった。勝代さんは、よっぽど別れようかと思いましたが、母親が「子どものために、もう一度やり直してみなさい」と言ったので、一男さんの後を追って夕張へ。ところが、その直後、頼りにしていたお母さんが亡くなってしまったのです。

斉藤: それは、心細かったでしようね。

遠藤: 途方に暮れ、夕張の橋の前で呆然としていました。
すると、見知らぬ女性が声をかけてきた。「あなたを見かけた方が、心配していますので」。誘われて行くと、そこに待っていたのは、戸田先生でした。
地方指導のため夕張を訪れた戸田先生が、旅館の窓から外を見ていると、身投げでもしそうな意気消沈した勝代さんを見つけたのです。「橋のところに変な人がいるから呼んできなさい」。そう言って、使いの人を行かせたのでした。

名誉会長: 鋭いね、戸田先生は。

遠藤: 昭和三十年(一九五五年)八月のことです。戸田先生の親身な指導に発心し、夫妻そろって広布に走る日々が始まりました。
「信心したのに、どうして母は亡くなったのでしようか」と、勝代さんが質問すると、戸田先生は厳しくお叱りになった。
「馬鹿者! あんたみたいな親不孝者は見たことがない。どれだけの信心をしてきて、そんなことを言っているのか。お母さんは方便をもって、我が子に信心を教えたんだ!」

斉藤: そうやって、生活の苦悩にあえぐ人々を、一人また一人と全力で励まし、蘇生させてきたのが、戸田先生、池田先生の戦いだったと思います。
その慈愛があったからこそ、これだけの庶民が立ち上がったんです。
「自分の幸福を本当に思ってくれる人がいたんだ!」と。