投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月12日(月)18時18分38秒   通報
§如来神力品§(3)
「凡夫こそ本仏」 —- 仏教史の転機(ターニング・ポイント)
■ 神力品は「民衆勝利の大行進」の序曲

斉藤: 「民衆勝利の年」(一九九八年)も、凱歌のうちに下半期に入りました。この「民衆勝利」こそ、法華経がうたい上げている讃歌だと思います。

池田名誉会長: そうです。そのために法華経は説かれた。
虐げられ、苦しめられ、ぱかにされてきた民衆を立ち上がらせ、胸を張って、大行進させるための法華経です。「一番苦しんできたあなたが、一番幸福になれる人なんだ」と激励し、大生命力を開かせていくための法華経です。
「自分なんか、だめな人間なんだ」と卑下している人に、「あなたこそ一番尊い、一番高貴な人なんだ」と目覚めさせ、顔を上げさせるための法華経です。
そして皆でスクラムを組んで、「自他ともの幸福」へ、大行進していくのです。
その「民衆勝利」の大行進のプレリユード(序曲)が、法華経の神力品です。
今、二十一世紀に向かって、私たちがその「民衆の勝利」の軌道を作っている。道を作っている。橋を懸けている。苦労は大きいが、その功績は、後になるほど光ってくることを確信してほしいのです。

遠藤:  それこそ「生きた法華経」ですね。

須田: 釈尊から上行菩薩への「結要付嘱」とは、仏法のすべて“如来の生命”を、すべて上行菩薩に渡した儀式でした。これからは —- 末法は「釈尊の時代」ではなく、「上行菩薩の時代」ですよ、と宣言したわけです。

遠藤: 「上行菩薩の時代」とは、「凡失こそ仏である」と開顕していく時代です。それまでの「(色相荘厳の)仏が上」「凡夫が下」という仏法を、全く建て直す新時代です。

斉藤: ありのままの「凡夫」「人間」以外に「仏」はないのだという徹底したヒューマニズムですね。

名誉会長: ある人が言っていた。
「本来、患者のために医者がいる。患者に尽くしてこそ医者である。なのに医者は自分のほうが偉いように思って、威張っている。困っている人のために弁護士がいる。なのに弁護士は自分が偉いように思って、威張っている。
国民のために政治家がいる。公僕(民衆に仕える人)である。なのに政治家は国民を利用し、国民より自分が偉いと思って、威張っている。ジャーナリストは、民衆の人権を守るためにいるはずである。なのに、マスコミが先頭に立って人権侵害をしている。信徒のために聖職者がいる。なのに聖職者は自分のほうが偉いと思って、威張っている」と。

須田: その通りだと思います。

遠藤: 転倒ですね。

名誉会長: 転倒です。これを、ひっくり返すのが、人間主義の「革命」です。