2015年11月1日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年11月 1日(日)13時56分31秒 通報 さて、話を戻します。 南条時光やその母(上野尼御前)に贈られた諸御書を読むと、時光の弟であり、 母の息子であった七郎五郎は十六歳の若さで突然死(事故死かなにか)したことが読み取れます。 兄の弟の死を悼む心、最愛の息子を失った母の悲哀の心を、 大聖人は全身で受け止め、共に悩み、共に悲しみ、七郎五郎の死を悼んで、 何回も何回も「これでもか」というぐらい、時光と母に激励につぐ激励をされています。 兄(時光)にとっては最愛の弟です。また、母にとっては太陽とも月ともいえる大切な息子です。 本文の断簡には、白米と里芋のご供養を受け取ったとあり 「故五郎殿、百ケ日等云云」とあることから、故七郎五郎の百か日のためのご供養だったと思います。 ここからは推論ですが、 たとえ阿修羅王が太陽と月を隠したように、 あなた方、親子の光りともいうべき最愛の息子が死に隠れたとしても、 この御本尊から離れず、妙法を唱え抜くならば、必ずまた会えるし、 必ず弟は成仏して、あなた方を見守っていますよ――と、激励されたのではないでしょうか。 抜苦与楽とは、慈悲の異名だと思います。 人を救い、幸福を与えきっていく力は、 妙法の一念三千に裏づけされた「大慈悲」以外にないと思います。 日蓮大聖人は、命にも及ぶ大難に耐えながら、そのことを弟子たちに教えていったのです。 以上が、白髪さんが提示された御書のグリグリの感想です。 ― 完 ― Tweet