投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月22日(木)13時14分29秒   通報

不軽の菩薩としての振る舞いは、
一人一人の内にある仏性を最高にほめたたえ、これに向かって礼拝するものでした。

「我汝等を敬う」から始まる二十四文字の法華経を説いて、衆生教化の道をひたすら進んだのです。

その道程に法難の嵐が巻き起こります。
しかし、その法難が契機となって宿業を転換していったのです。

これを「其罪畢巳 (其の罪畢え巳って)」といいます。

大聖人は、逆境を契機に宿業論を引用しながら、不軽菩薩を範として、
内を見る、内を鍛える、内なる仏性を顕現する徹底した内省の考え方を表明したのです。

逆境は人を育てるように、
大聖人の仏法は佐渡流罪によって、一層、研ぎ澄まされ、深みと広がりを備えるに至りました。

竜口の法難を乗り越えた大聖人には、自ら体験した法華経身読によって、
南無妙法蓮華経の偉大な力用の証明を果たしたという自覚と確信がありました。

また、大聖人はその難によって「仏眼」を体得していたと思います。
仏眼とは、仏法の眼(視点)から、すべての事柄の本質を見極めようとする眼です。

大聖人は、この佐渡流罪という出来事以降、
弟子たちに「師弟不二の道」を継承させようと、激励につぐ激励を展開していきました。

しかしそれは同時に、弟子もまた、迫害の嵐に遭遇することを意味していたのです。

その弟子の一人に四条金吾がいますが、今度はその四条金吾が受けた迫害を通して、
大聖人は何を四条金吾に教えようとしたのか――それを見ていきたいと思います。

一度整理します。

雨乞いの対決に敗北した仏敵・良観は、幕府権力者に無数の讒言を加え、
大聖人を亡き者にしようと、あらゆる策謀を練って仕掛けていきます。

その最大の頂点が竜口の法難であり佐渡流罪です。

しかし、それでも大聖人を倒せなかった良観は、今度は師匠と弟子の離間工作に動きます。
つまり、弟子に弾圧を加え、純真な信徒を苦しませようとしたのです。