投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月22日(木)13時12分30秒   通報

日蓮大聖人の生涯を研鑽して強く感じることは、
民衆救済を目的としながらも、その人生は迫害につぐ迫害の連続闘争でした。

しかし、それでも大聖人は迫害に合うたびに、
大きく飛躍できる糸口を懸命に見つけ、広宣流布の活路を開いていきました。

そして、一切衆生を救済するために悪の思想と戦い続け、その尊い生涯を全人類のために捧げたのです。

人生に悩み、壁にぶつかりながらも、
それを乗り越えようと懸命に生きる、生身の人間にとっては、

大聖人の説いた教説もさることながら、大聖人の振る舞いの奥にある、
心の琴線に触れることのほうが感動が遥かに大きいと思います。

その意味で、大聖人は自身に競い起こる迫害を通して、
どう振る舞い、弟子たちに何を教えていったのかを見ていきたいと思います。

生涯のなかで人生最大の難ともいえる「竜口の法難」を乗り越えた大聖人は、
さらに、それに続く次なる試練が待ち構えていました。

竜口で処刑に失敗した幕府は、大聖人に対する処罰を決めかねていました。
そして、ついに佐渡への配流を決定したのです。

佐渡は、律令時代からの配所で、
「近流・中流・遠流」とある流刑のなかで、最も重い流罪の地でした。

大聖人にとっても、弟子門下にとっても「佐渡流罪」は、
生涯最大の苦難の時であり、日蓮教団の存亡にかかわる法難でもあったのです。

この時期、大聖人の「心」と弟子たちの「心」にはどういう相違があったのでしょうか。

というのは、ところどころに大聖人と弟子とのすれ違いが語られているからです。

もしも大聖人が逆境にある時、その打開のために精力的に動き、
事態を好転させようと努力して鎌倉への帰還を勝ち取っていたとしたら、
その生き方は、ずいぶん色あせたものとなっていたかもしれません。

日蓮仏法が現代にも通じているのは、
そんな世俗的、時代限定的な行動に走るような生き方をとらなかったからだと思います。

つまり、佐渡での大聖人は、この法難をそんな方法論で解決しようとは思っていなかったのです。