投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月11日(日)16時49分12秒   通報

池田先生は、国連をはじめとする国際社会に人道的競争の理念を定着させようと、毎年、提言を行っています。

それとともに、人道的競争の主体者を国家だけではなく、あらゆる組織団体にまで広げ、
創価学会としても人類的な諸課題について諸宗教と協力し、その解決に向けて対話を行いながら、
切磋琢磨しあう立場に立つことを表明しています。

また、ヨーロッパ科学芸術アカデミー会長・ウンガー氏との対談の中で、池田先生は、

「宗教の信奉者が、自分たちが洞察し、また啓示された『真理』に絶対的な確信をもつのは当然のことでしょう。

しかし、そのことによって、独善的、排他的な《偏狭の信》に陥るのは『真理』の解明を目指す宗教者の正しい態度ではありません。

むしろ、究極的な『真理』の解明のために、互いに英知をしぼり、

人間の真の幸福の実現に向けて競い合うことこそ、宗教者のあるべき姿だと考えます」

(対談集「人間主義の旗を」p76)と述べました。

つまり、池田先生は各宗教の真理を肯定的に見たうえで、
さらなる智慧の開発による諸宗教の切磋琢磨、人道的競争を提唱したのです。

「信仰の対象は何でもよい」と言い切れる宗教者は、この世の中に、そうはいないと思います。
宗教者がみずからの「真理」に忠誠を誓うのは当然です。

問題は、むしろ自分たちの見解を「万人が仏である」という究極の真理を共有することだと思います。
この人間主義の宗教観に立てば、各宗教者の見解は、いずれも法華経の表れである智慧に依っていることになります。

池田先生が、進んで他宗教の人々と出会い、対談し、その智慧に謙虚に学ぼうとする姿勢――その行動は、

世界の宗教者が互いの智慧を尊重しつつ、速やかに人道的な競争関係に立つべきだとの主張だと思います。

日蓮大聖人が幕府の権力者に立正安国論を提出し「汝、早く信仰の寸心を改めて速に実乗の一善に帰せよ」(p32)と訴えたのも、
他宗と論陣を張って折伏行を断行したのも、上記に記したことを、生きた時代に定着させるための戦いだったのではないでしょうか。

ちなみに、グリグリは「実乗の一善に帰せよ」とは、
「生命尊厳の理念に立って、政治も宗教も行うべきである」と捉えています。

全人類の生命はもっとも尊厳すべき存在であるという理念は、宗派の壁を越えて、万人が納得する世界共通の哲学だと思います。

以上、簡潔に説明しましたが、これが日蓮大聖人の包括主義と良観の包括主義の違いです。

・・・・・・質問②につづく