投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月11日(日)17時45分17秒   通報

投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年10月10日(土)21時19分45秒

■「仏敵に対する供養があるとすれば『法供養(折伏)』しかありません。」

具体的に言うと、どうゆうコトでっか?

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「我もいたし人をも教化候へ」(p1361)
「力あらば一文一句なりともかたらせ給うべし」(p同)
「広宣流布せざる間は身命を捨て随力弘通を致す可き事」(p1618)

上記の御文から、仏敵に対しては、慈悲(勇気)を持って間違った思想を糾弾し、
正法に目覚めさせる折伏の戦いが、仏敵を利益する法の供養だと捉えています。

また、
「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る」(p1467)
「北陸道をば豊後房なびくべきに」(p1318)

上記の御文から、自分の戦いの場所は自分の住む地域だと思います。
各々が各々の持てる力を出し切って目の前の一人を目覚めさせていく。
その拡大の中で、やがて強大な僭聖増上慢の悪を破っていけると確信しています。

■「仏敵に供養(法・折伏)して地獄に行くか、行かないかは、本人の一心一念による、ということです。
それが強ければ『寂光』だし、弱ければ『地獄』です。」

ここの部分も、よーわからんねんけど。
頼んますわ~。
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仏敵との闘争に挑んで、結果的に自分がどうなろうとも、
苦痛を感じるか、喜びを感じるかは、本人の境涯次第だという意味で述べました。