2015年10月11日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月11日(日)16時46分30秒 通報 ①良観の包括主義の目的は、名聞名利のためであり宗教ビジネスのため ! 良観は、現在の奈良県の出身で16歳の時に出家し、 23歳の時に奈良にある西大寺(真言律宗)を開いた叡尊の弟子になりました。 そこでしばらく「非人」を組織化して活動していましたが、後に活動の場を関東に移し、 北条重時に近づいて鎌倉進出(鎌倉釈迦堂に入る)に成功しています。 そして、祈祷僧として北条時頼の病気平癒の祈願などを行い、幕府の中枢に接近していきました。 良観は、鎌倉でも「非人を救済」するという事業を通し、 非人を組織化してその非人の労働力を利用し各地の土木事業に当てていました。 たとえば、幕府は鎌倉の和賀江島の港湾修復工事を良観に委託し、 その代償として出入りする商船や商人から通行税を徴収する利権を得ています。 また、 和賀江島と同様に鎌倉の外港である六浦の管理権も掌握し、海上貿易に深く関わっていました。 良観が幕府公認のもとで広範な土木・慈善事業を行ったことは、良観の社会的名声を高めたことになります。 しかしもう一方で、通行税の徴収などは人々にとっては大きな負担を伴います。 この点を大聖人も「聖愚問答抄」で言及されています。 こういう事実から考えていくと、 良観のいう諸宗に対する寛容(それぞれの信仰を認める)の発想は、名聞名利のためであり、宗教を利用したビジネスで、 良観にとっては多信仰であろうが、雑信仰であろうが信仰の対象などどうでもよいのです。 その証拠に、良観が率いた真言律宗は、一時的には他宗を圧倒する影響力をもっていましたが、 体系化された教義も信仰者の強靭な組織も持たなかったために、良観の死後、鎌倉幕府の滅亡とともに衰退しました。 これは、政治権力に寄生することによって勢力拡大を図った宗教のもろさを示しています。 利害や利権をもとにした包括的野合は、いずれはその志ざしをも蝕まれ、消滅する運命をたどると考えます。 Tweet