投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月10日(土)13時37分43秒   通報

大聖人の折伏思想は、排他主義ではなく、むしろその反対で、
排他性と戦うことが大聖人の考える折伏だったのです。

法然の思想は、極端な宗教的排他主義でしたが、大聖人はただそれだけで戦いを挑んだわけではありませんでした。

すでに「法華経」の真理が広く浸透した当時の日本国で、法然がそれを排除しようとしたからこそ
「法華経を排除しようとする行為」、つまり「謗法」と見なし、戦うべき相手となったのです。

大聖人の折伏は、法華経有縁の国において社会的・思想的な応戦を意味するだけでなく、
現実社会から「法華経」の真理を排斥する動きに対する「抗議」という意味合いもあり、

単なる思想上の問題と考えるべきではありません。

一切は平等だという教え(法華経)の否定は、いかなる理由であれ、結果的に「非寛容」「排斥主義」に通じていきます。

だから、寛容の信念に生きる者は、これらと真っ向から戦い、
すべてを生かす「法華経」の真理を、再び輝かせていかなければならないのです。

大聖人が法然や良観たちを「仏敵」と判断し、批判する真意は、
法華経の真理を謗る「謗法の行為」に対する、仏法者の責任感の上からの反論だったのです。

大聖人は「法華経」を受け入れる者を決して排斥しませんでした。
大聖人が真っ向から戦った相手(仏敵)は、「法華経」を誹謗する非寛容な仏教思想だったのです。

その戦いの代表例が、先ほども言った日本浄土宗の開祖・法然の諸宗批判に対する、大聖人の反論(反批判)です。

大聖人から見て、念仏以外のすべての仏教を「捨てよ」「閣け」「抛て」などと説いた法然は、
極端な排他主義者であり、まさに「仏敵」そのものです。